木魚歳時記 第3832話

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 文臣にこの軋轢(あつれき)のある一方、武臣も清盛と義朝との間が円満でなかった。
 そもそも保元の軍功は、たれの目でみても源義朝とその部下の軍略と奮戦とによるもので、平清盛らはただ味方をしたというほかは格別の働きもなかったのに、平氏は清盛の功によって、その弟頼盛、教盛、基盛らがみな昇殿を許され、その子重盛は従五位下に叙せられた。それを源氏では義朝のほかは頼朝だけが昇殿をゆるされ、それも位は平氏の人々よりも低かった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)519

        さつきから婆やはらかに昼寝かな

 「ボクの細道]好きな俳句(1582) 佐藤鬼房さん。「金借りて冬本郷の坂くだる」(鬼房) 当面の金策ができ安堵の気持ちで坂道を下る。「本郷の坂」と具体的に表示したので金策の緊迫感が伝わります。さて、俗称「絹傘茸」(きぬかさたけ)は、スッポンタケ科のキノコの一種だそうです。梅雨の頃に、チャンスに恵まれると「キノコの女王」と呼ばれるこの茸(きのこ)と出会うことが出来ます。今年は女王の「絹掛け」がいささか「くたびれて」いました。(写真・府立植物園)。

 犬(いぬ)5  ポアンチュウは嚔(くしゃみ)をして、それでも念のために、誰もいない台所を覗(のぞ)きに行く。