木魚歳時記 第3812話

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(四)平治の乱の翌年、永暦(えいりゃく)元年の十二月、十九歳の隆信は、その十一月二十三日に亡くなられた美福門院のおん遺骨を高野山に納める僧俗一行の中心となって、伏見草津から出る未明の船のなかにうずくまっていた。
 六年前に先立たれた鳥羽院は、あらかじめ菩提寺として安楽寿院を建立し、あまつさえ寝園の場所をさえ相し置かれたから、おん標(しるし)としてその上に新御塔というのを造り、なかに密教の阿弥陀仏を泰安した。
(佐藤春夫『極楽から来た』)500

        放牧の牡牛の群れや雲の峰

「ボクの細道]好きな俳句(1563) 今井千鶴子さん「昔より美人は汗をかかぬもの」(千鶴子) ふむ。そんなものでしょうか? ボクにはなんともわかりません。さて、以前「変な生きもの」として、ハシヒロコウ(嘴広鸛)をご紹介しました。獲物が接近するまで「またたき」もせず待ち受ける「鸛」(コウ)の一種です。ひょうきんな顔が忘れられず・・ネットで検索しました。やはり、期待に外れない愛嬌のあるツラ構えをしていました(写真)。

 鳩(はと)7  彼らは一生、いつまでたっても、ちょっとばかりお人好しである。彼らは、嘴(くちばし)の先で子供が作れるものと頑固に思い込んでいる。 それに、全くしまいにはやりきれなくなってくる・・しょつちゅう喉(のど)に何か詰まっているという、例の先祖伝来の妙な癖は。