木魚歳時記

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木魚歳時記 第3757話 

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(二)アミダひじりは自ら空也(くうや)といったほか、身の上は少しも明かさなかったが、名を光勝といって、醍醐天皇の第五皇子とも、また仁明(にんみょう)天皇第八皇子常康(つねやす)新王の王子ともいわれる。
 この人は生来であったか、それとも疱瘡(ほうそう)などの結果であったか、手の指が親指のほかは四指がすっかりくっついて畸形(きけい)であったという。高貴な家系とそれにふさわしくない醜陋(しゅうろう)の身をはばかって身の上を語らなかったのかも知れない。
(佐藤春夫『極楽から来た』)451

       春の夜の外湯に浮かぶ白い肌 

「ボクの細道]好きな俳句(1507) 阿部完市さん。「鹿になる考えることのなくなる」(完市) 鹿になる? そこがアベカンさんなのありましょう。、一瞬、鹿は「馬鹿」の比喩かと? 下司なことを書いてしまいました。「鹿」は秋季ですから、「もの思う秋」への風刺でしょうか? ボクのようなことを考えるのが「下司の勘繰」りというのです(汗)。

(序)影像の狩人9 影像(すがた)は、率直に、思い出のままに蘇(よみがえ)って来る。その一つ一つがまた別の一つを呼び覚まし、そしてその燐光(りんこう)の群れは、ひっきりなしに新手が加わってふえてゆく・・・あたかも、一日じゅう追い回され、散り散りになっていた鷓鴣(しゃこ)の群れが、夕方、もう危険も去って、鳴きながら畔(あぜ)の窪(くぼ)みに互いに呼び交しているように。