当時は、蛇体を、多分そのねけがらのためであろうか
同じ形で生き変わり死に変わりして無限の生命を保つものと一般に信じられていた。それ故、解脱(げだつ)の困難に絶望した末に池の主の蛇体を志して弥勒菩薩の出現まで寿命を求めるため自ら池水に身を投げた高徳の学僧もあったほどである。そういう迷信とともに正しい信仰をも人々があわせ持っていた時代であった。
それにしても主上がただの蛇体ではあまりにももったいないというので、定国は主上を龍王に転生されたと夢みたのであろう。
(佐藤春夫『極楽から来た』)8
花売の少女羽化する青夜かな
「ボクの細道]好きな俳句(1053) 能村登四郎さん。「夏痩せて釘散らしたる中にをり」(登四郎) さて「釘散らしたる」とは? まさか日曜大工で、釘箱をひつくり返し、いまいましい気持ちで身の痩せる思い。ではないでしょう。年老いて我が身は、夏痩せが重なり節々がクギに刺されるように痛む。まことに高令者にとって明日にでも起こるような作品です。