寺町
秀吉が京都に残したものといえば、大仏、聚楽第(じゅらくだい)、お土居(どい)、などなど沢山あります。「寺町」もその一つであります。その目的は京の町割りの一環として、京に散在していた寺々を強制的に集めることでありそれを実行したのであります。寺町は南北に長く連なり、北は鞍馬口の上善寺(じょうぜんじ)に始まり、いわゆる「寺町通りに」沿って、南は七条付近の宗仙寺(そうせんじ)にいたるまで、約5キロにわたり百余りの寺々が山門を並べています。詳しく述べることはできなせんが、寺町の集約には、お土居の建設に伴う戦略的(防御)の意味と、鴨川河川敷の活用(立地条件)がからんだことは容易に想像できます。