木魚歳時記 第1250話

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京極

 京極(きょうごく)の呼び名は、平安京の洛中の東の果て、つまり「東京極大路」(ぎがしきょうごくおおじ)に由来します。当時は、鴨川から東は、洛外と考えられており、荒野として考えられていました。まさに都の果てでありました。ちなみにボクが卒業した京極小学校は、京都で1^2番目に早く開設され、間もなく創設140周年を迎えます。この小学校は、湯川秀樹博士の母校として知られています。さて、明治初年に、当時、京都府の参事であった槇村正直氏は、東京に都が移り、活気をうしなった京都人に元気を得てもらおうと芝居小屋、寄席などを寺町三条から四条にかけて集め、その名を「新京極」(しんきょうごく)と名付けました。

     おんどりの鳴きて七戸は秋まつり