ぼくが撮る植物写真は、被写体がなければ写りません。イマジネーション(心で思う)を写真に表現するにはそれなりの技術とか芸術性が求められる?句作もおなじ?
「愚かなる身こそなかなかうれしけれ
弥陀の誓いにあうと思えば」(良寛禅師)
仏教でいう「観察」(かんざつ)とは、澄みきった理知のはたらきによって、自身の周囲にあるもろもろの現象や、自身の心の中に浮かぶ種々のイメージについて、それらを観察することによって、そのものの<真実>のすがたや性質をみつけだすことを意味します。おそまきながら、僧侶としての「観察」(かんざつ)を、俳句入門者としての観察(かんさつ)を、ぼくはいま求められています。