江戸時代の離婚は夫にのみ権限があったようです。そのとき夫から妻に書いた、離婚理由と再婚許可を求める文書が簡略であったことから、三行半(みくだりはん)と呼ばれたようです。
「時は自然に淘汰してくれる。
やっぱり何といっても
いいものしか残らない」(北原白秋『童心』)
そこで、妻も特定の尼寺に駆け込み、尼として3年奉公することにより離婚ができたようです。この特権をもつ尼寺を駆込寺とか縁切寺と呼んだのです。鎌倉の東慶寺とか群馬の満徳寺などが有名でした。いくら江戸時代とはいえすごい時代があったものです。ところでこのぼくは、大黒さんの無言の<三行半>にたえず怯えてすごしています。