木魚歳時記

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木魚歳時記 第634話

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 ぼくは、寺で生まれ育ち、そして死んでいくでしょう。寺の六男に生まれたぼくが、その寺に住まわせていただくのは、不思議な「縁」(えにし)というほかありません。
    
   「まことに、人間の遭遇ほど、
          味なものはない」(折口信夫

 禅の修行僧は、行く雲のように流れる水のように、一か所にとどまらず、諸方に師を求めて行脚(あんぎゃ)するので、こうした修行僧を指して「雲水」(うんすい)と呼ぶようになったのでしょう。京都には禅宗の各本山が多いところから、辻ゝを行脚する雲水の姿を見かけます。修行僧の「ほーほー」という托鉢の声がすると、京の人たちは、あっ「ほーさんがきゃはった」と温かく迎えてあげます。この修行僧たちも、やがて、各地の自坊にもどって、寺を継ぎ、家庭をきずくことでしょう。

    分譲地一つ埋まりて鯉幟