木魚歳時記 第599話

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 念仏とは「心に仏を想うこと」であると述べました。しかし、今日の日本では、念仏といえば、「弥陀」(みだ)の名号を称えすること。すなわち「南無阿弥陀仏」(なむあみだぶつ)と声にだしてお称えすることの意味に理解されています。それはどうしてでありましょうか?

 さとりをに至られた複数の仏(ぶつ)の中から、西方極楽浄土(さいほうごくらくじょうど)の仏である「阿弥陀仏」(あみだぶつ)だけを、しかも、阿弥陀仏の名を心に想うのではなく、阿弥陀仏の名を「声にだしてお称えする」のはどうしてでありましょうか?すなわち「ナムアミダブツ」と声にだしてお称えするのはどうしてでありましょうか?

     寒鯉の髭の先なる寂光土