木魚歳時記 第597話

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 信を起すとは「なにを信じ」「どのように信じるのか」。それは、西方極楽世界におられるアミダ仏の救いを、絶対的な救いであると信じることであります。

 アミダ仏の救いとは、わたしたちが<いのち>を終えて、西方極楽世界に「往生」(おうじょう)するとき、すなわち西方浄土に生まれ変わるとき、極楽浄土のアミダ仏が、手をさしのべてお迎えしてくださる・・それを信じることであります。浄土宗を開かれた法然上人は「知者のふるまいをせずして、ただ一向に念仏すべし」と申されました。この「仏」(ぶつ)とはアミダ仏のことであり、「念」(ねん)とは「信じて疑わない」ことです。アミダ仏の救いを信じて疑わない気持ち、これを声に出して「ナムアミダブツ」と唱えること、この祈り願いが「信を起す」ことです。

     初稽古くち別嬪の横並び