『観無量壽経』(かんむりょうじゅきょう)という経典の中に「仏心とは大慈悲、是れ也」とあります。すなわち「慈悲」とは、仏教そのもの、いや、仏そのものといってもいいでしょう。
また『維摩経』(ゆいまきょう)という経典の中には「衆生病むがゆえに我病み、衆生治れば我治る」とあります。修行者である菩薩(ぼさつ)が行う修行の目的は、自分自身の悟りを求めるに止まらず、他の者をも悟りに導くものであります。このことは繰り返し述べてきました。この維摩経のことばは、これを端的に示しているのです。仏道の修行の目的は、仏教者のあり方は、すべて「慈悲」の実践、すなわち「菩薩道」の実践に尽きるのです。