木魚歳時記 第546話

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 「聖天」(しょうでん)とは、「歓喜自在天」(かんぎじざいてん)を略した呼称で、その形像の多くは、象頭人身の男神や、また、男神と女天の抱擁像も多いところから、夫婦和合、子授けの神さまとして信仰されています。

 子どものころ、おやじ(師僧)が「聖天さまの縁日やから手伝いなさい」。と朝早くからお手伝いを命じられ、遊びにも出かけられず、ぼやいたことを思い出します。恐らくおやじは「聖天さま」がなにものかを知らず、なんとなくご縁があって祭っていたのでしょう。古いインドの「歓喜天」(かんぎてん)が、遠い日本の各地で「神」として信仰を集め、拝まれていることは、それはそれとして素晴らしいことです。ぼくもおやじの子ですから・・それがどんなものかと、と、お厨子を覘き込んでみましたが・・なんということはありませんでした。

   しぐるるや足目となる寒山寺