木魚歳時記 第528話

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 「我」(が)とは、自分のことでしょうか?それはある意味では正しいといえます。しかしそれ以上に深い意味をはらんだ哲学用語です。

 古いインドにおいては、「宇宙の中心主体である梵(ぼん)と、個人の中心主体である我(が)は一体である」という「梵我一如」(ぼんがいちにょ)の思想が中心でした。その時代に、仏教は無常を説き、個人の中心主体を否定したのです。すなわち「無我」(むが)説であります。ぼくのぼんくら頭で、しかも、わずかなページでとても説明できるものではありませんが、無我とは、「我」が存在しないというのではなく、我(が)でないものを我(が)とみなしてはならない。すなわち「われという観念」、「わがものという観念」を排除しようとした・・といえば多少は解ったような気もします。

    聖堂の鋭角に切る秋の空