爺婆の ねんね夜話 寒もどり
俳句では、爺を「尉(」じょう)とか糞を(まり)とか読むようです。しかしぼくは(じいばあ)とか(ふん)と読むのが好きです。アンソロジー(詩華集)としてはふさわしくないのでしょうが。
「月影のいたらぬ里はなけれども、
眺むる人の心にぞ住む」(法然上人)
月の光が万物をわけへだてなく照らすように、わたしたいの心が「ぐらぐら揺れようと」そうでなかろうと、極楽浄土への救いの手はすべての人に平等にさしのべられます。大切なのは、救いは「万人平等」である。そのことに気付くことです。