木魚歳時記 第237話

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かなかなに 釣られてたどる 隠し水 (再掲)

 如来(にょらい)の光明は、遍(あまね)く十方世界(じっぽうせかい)を照らして。念仏(ねんぶつ)の衆生(しゅじょう)を摂取(せっしゅ)して捨てたまわず。

 

 九番目は「摂益文」(しょうやくもん)であります。その意味は、極楽浄土の蓮(はちす)の台(うてな)より発する如来(あみだぶつ)の救いの御光(みひかり)は、この世のすべて(十方世界)を隈なく照らして、極楽浄土に往生したいと願う衆生(すべて)を摂取(救い取りて)漏らすことがない。の意味となります。
 「聞名得益偈」(もんみょうとくやくのげ)においても述べましたが、阿弥陀仏の救い(極楽浄土への往生)が、万人平等であることを確かめられたならば、つぎは、極楽往生の方法である「念仏」(ねんぶつ)の実践に移りましょう。「念仏」(ねんぶつ)とは、阿弥陀仏(アミダブツ)の御名(みな)をお称えすることです。
 浄土宗では、この「摂益文」(しょうやくもん)をお唱えして、次に「念仏一会」(ねんぶついちえ)、つまり「念仏」(ナムアミダブツ)を繰り返します。この「ナムアミダブツ」が、浄土宗の最も重要な<仏道修行>となります。