木魚歳時記 第235話

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木食の 裾でふくらむ 羽抜鳥 (再掲)

 その仏の本願(ほんがん)の力は、名を聞きて往生せんと欲すれば、皆ことごとく彼の国に至って、自(おのず)から不退転(ふたいてん)に到る。

 

 七番目は「聞名得益偈」(もんみょうとくやくのげ)であります。その意味は、(その仏)阿弥陀仏(あみだぶつ)の「本願力」(ほんがんりき)とは、つまり、阿弥陀仏の真の願いとは、念仏(阿弥陀仏の名を唱え)して極楽往生を欲する者を、捨てたまうことがない…という<究極>の願いのことです。これにより、誰でも必ず極楽浄土に往生できて、しかも、ふたたび極楽浄土より転出することはない。そのことを確証するのがこの文(もん)であります。
 しかも、阿弥陀仏の「本願」(ほんがん)は、阿弥陀仏が法蔵菩薩(修行者)であったとき、修行の目的として誓われた願いであります。その誓とは「口にナムアミダブツと唱える者は、必ず、極楽浄土に往生できる。」という誓いであります。
 法蔵菩薩はその誓いを成就され、現に阿弥陀仏として極楽浄土におられるわけですから、これほど確かな誓はないわけです。