木魚歳時記

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木魚歳時記 第3861話

「御辺(ごへん)は兵庫守か、源氏勝なば一門なれば内裏に参らん。平家勝なば主上おわせば六波羅へ参らんずと、戦いの勝負を疑うと見るは如何。およそ武士は二心あるを恥とす。ことに源氏の習いはそうず。寄れや、組んで勝負せん」 とののしり挑んで、その場…

木魚歳時記 第3860話

勇将の下に弱卒の無い源氏の軍の必死の攻撃も戦い疲れてたじろぐ折から、味方の旗悪しと見た一族の頼政、光保、光基らの変心を見て、足元から砂のくずれる不安に、義平は軍を六波羅の門から鴨川河原に退かせ、馳せわたして西に落ちる。裏切った頼政は義朝に…

木魚歳時記 第3859話

(五)義平は重盛を見つけて、御所の階前(きざはしまえ)、左近の桜、右近の橘をめぐって追い廻し、追い廻し、追いつめて今一息のところを取り逃がした。大将を討たれそこなって平家の軍はひと先ず、六波羅へ退くのを義平の追撃は急であった。 その奮戦ぶり…

木魚歳時記 第3858話

義朝父子がくつわをそろえて門前に出て見た時、平家の大軍はすでにひしひしと御所を幾重にも取り巻き、平家はここでも一歩を先んじて、平治の合戦は平家の先制攻撃からはじまった。敵軍をぐっと見渡した義平は、「かく申すは清和天皇九代の後胤、左馬守(さ…

木魚歳時記 第3857話

義朝は一刻も早くと、よろいを取って着け、かぶとの緒(お)をしめつつ庭に出る間ももどかしく、馬を呼んでまたがり、家の子郎党をかえりみて、「このうえは六波羅へ押し寄せ、屍(しかばね)をさらすばかり」 と、馬に一むちくれて出ようとする所で、義平は…

木魚歳時記 第3856話

六波羅では早くも朝敵勦討(そうとう)軍出撃の用意も成った。近畿北陸にかけての家人どものほか、家の地盤たる西国は東国と違って、水陸便利に、十七日から二十五日まで一週間に集めた兵力は三千余騎、源氏は二千余と『平治物語』にあるが、その差はそんな…

木魚歳時記 第3855話

そのころ六波羅には上皇主上おそろいのうえ、関白以下の公卿みな集まってさながら御所で、朝敵討伐の勅が邸の主清盛に下っていた。 ものの見事に出し抜かれて「内裏ニハ信頼、義朝、師仲、南殿ニ虻(あぶ)ガ目ヲ抜カレタ」ような間抜けな面をしていた。この…

木魚歳時記 第3854話

その夜、信頼はそんなことは夢にも知らず、いい気もちで眠りほうけているところを、駆けつけてたたき起こした者を、ねぼけた眼で見れば、余人ならぬ藤原成親(なりちか)であった。成親なら、中納言源師仲とともに、かねて抱き込んで置いた院の側近たる近衛…

木魚歳時記 第3853話

火事場に近くうろうろする女房車を怪しみ、み車のみすをすかしてうかがった者もあったが、平素主上を拝したこともなし、おん年十七歳で美しくましました天皇を、まことの女人と思い誤って見逃したのは無理もなかった。 同時に上皇も同じく女房車に美福門院や…

木魚歳時記 第3852話

(四) 火事は平家のいぬの放火であった。清盛の策はいよいよ火蓋(ひぶた)が切られた。「それッ火事だぞ。風上だ、火もとは近い!」 と御所を警護の武士たちが口々にののしる騒ぎにまぎれて、清盛に誘われて寝返っていた、経宗(つねむね)、惟方(これか…

木魚歳時記 第3851話

これに反して清盛は入京後、従者から主人に奉る名簿(みょうぶ)というものを信頼に渡して恭順の意を表し油断をさせて置き、上皇や天皇が信頼方にまします間は、これに弓を引くことを不利と清盛は考えてこの方面に工作を着々と進めていた。 さて十二月二十五…

木魚歳時記 第3850話

清盛の熊野詣ではまことにタイムリーなわなであった。信頼や義朝は憎い信西を思う存分にかたずけて、クデターの一応の成功にいい気になり、十二月九日から十七日まで天下を取った気で、当然次に起こるはずの事態に備えるだけの用意もないうつけかたであった…

木魚歳時記 第3849話

きない頼政の率いる多田源氏を恨んでいた。それがすなわち清盛をして信頼や義朝を促して蜂起の隙を与えさせた理由でもある。 もしもこの乱が、いま二、三ヶ月もおくれて、東国の兵を集めてから、また頼政と義朝らとの間がしっくり結ばれて後に起こっていたと…

木魚歳時記 第3848話

義朝の長子、十五歳の悪源太義平は東国にいたが、折から都に来ていて、清盛の帰途を、阿倍野に要撃しようという謀(はかりごと)を持っていたが、父義朝がはこの謀を許さなかったため、清盛は無事に都に帰ることもできたのである。 もっとも義平の手兵や、義…

木魚歳時記 第3847話

「こちらにも」 と、別の櫃(ひつ)を次々と開けさせると、それには弓五十張とそれひ相応するだけの矢やら物の具一式があったのを取り出した。一同の士気は大いにあがる。清盛も大満悦で、この周到な用意を賞すると、家貞は、「みなおん曹司さま(重盛のこと…

木魚歳時記 第3846話

やっと力を得ていよいよ都へという段になって、同行していた家司(けいし)(一門の大番頭)筑後守家貞が、長櫃(ながびつ)を多数重そうに持ち出させた。開けさせてみると思いがけなくも五十領のよろいが出て来た。清盛は喜びながらにも、「よろいばかりで…

木魚歳時記 第3845話

いっそ一度筑紫へ落ちのびて兵を募ってから改めて攻め上ろうという者もあり、いや、それではその間に義朝も東国から兵を集めるであろう。などと、一行がとつおいつしているところへ、地方の豪族、湯浅宗重が三十七騎を従えて馳せ参じ、早く都へといっている…

木魚歳時記 第3844話

(三) 清盛の一行がやっと口熊野の田辺(たなべ)の宿に落ちついたところで、脚力(りき・飛脚)が追いついて信頼(のぶより)、義朝らのクーデターを知らせた。かねて覚悟はあったようなものの、いざとなるとさすがに狼狽(ろうばい)して、僅(わず)か二…

木魚歳時記 第3843話

(佐藤春夫『極楽から来た』) 欠番 短夜の少し濃いめのカプチーノ 「ボクの細道]好きな俳句(1593) 佐藤鬼房さん。「頸捩る白鳥に畏怖ダリ嫌ひ」(鬼房) 「頸捩る」(すねねじる)とは、白鳥のあの動きでありましょう。また、作者自身の持つクセの比喩で…

木魚歳時記 第3842話

さすがの傑物も時代の迷信からは免れず、なまなかに陰陽道や占星を学び信じていた。信西の落ちのび先は、固く禁じておいた輿(こし)かきの口から義朝の部下に洩(も)れて信西が穴から発見された時、腰刀で胸板を突いて自殺していた。その首は討たれて、十…

木魚歳時記 第3841話

四人の従者のうち師光というのは有名な西光法師で、やがて後白河院の寵臣のひとりとなり、平家覆滅陰謀の首謀者となった人物であるが、さすがわず太い男であったから、「思い切ってシナへ高飛びなさいませ」と信西にいった。「それがしもお共申しあげます」…

木魚歳時記 第3840話

信西の邸も火をかけられたが、信西は事の急を察してわが家には帰らず、左衛門尉師光以下四人を従えて輿(こし)で大和の田原というところに落ちのび、その野末に穴を掘らせてひとりで穴の中に身をひそめていた。(佐藤春夫『極楽から来た』)526 日本酒と猫…

木魚歳時記 第3839話

やがて信頼らは内裏に参って、天皇を黒戸の御所に幽閉し奉り、信頼は清涼殿の朝餉(あさかれい)の間に陣取って関白以下の公卿を召し集めて叙目(じょもく)・任官の儀式を行い、義朝を従四位以下に叙し播磨守に任じ、その子頼朝、当年十三歳を右衛門尉に任…

木魚歳時記 第3838話

天皇はこの騒ぎの中にも御所に留まって居られた。内裏には大納言藤原経宗(つねむね)、検非違使(けびいし)別当藤原惟方(これかた)が天皇におつき申していて、経宗、惟方はともに信頼(のぶより)に同心の者であったから内裏は安泰であったからである。…

木魚歳時記 第3837話

警護の武士には、むろん防戦した者もあったが、院中の男女はこの不意打ちに我がちに逃げ出そうとして周章狼狽(しゅうしょうろうばい)し、井戸などに落ちる死者を多く出した。しかし、信頼、義朝が目ざした当の敵、信西をはじめその子の俊憲、貞憲は共に難…

木魚歳時記 第3836話

信頼と義朝とが起てば、清盛が信西を援けるのは必定である。あたかも好し、その清盛が熊野詣での留守を見て、それが清盛の彼らの蜂起を誘発するために与えた隙とも知らず、平治元年十二月九日の夜、急遽、兵を挙げて三条烏丸の御所を囲んで火を放った。信西…

木魚歳時記 第3835話

赤恥をかかせてくれようといわぬばかりのこの仕打ちを恨んで義朝が信西に怒ったいるのを見てとった信頼は、信西排斥のための武力を義朝に求めて互いに相結び、ひたすら時機の到来を待っていた。(佐藤春夫『極楽から来た』)522 六月の空いつぱいにちぎれ雲 …

木魚歳時記 第3834話

(二) そして義朝はわが女(むすめ)を信西の子是憲(これのり)にめあわせようと、その相談を持ちかけると、信西は話に耳を傾ける様子もなく、「わが子は学生(がくしょう)で貴公みたいな武家の婿にするわけには参らぬ」 と、にべもなく拒絶した。それで…

木魚歳時記 第3833話

不幸にも敵軍に加わった父や幼い弟たちまでみな手にかけて刑死させた義朝の得たところは、世人からの悪名のほか、朝廷からわずか二名の昇殿とそれぞれの低い官位とだけであってみれば、義朝の不平は無理もない。 源氏の一族が義家以後一路衰運をたどるのに反…

木魚歳時記 第3832話

文臣にこの軋轢(あつれき)のある一方、武臣も清盛と義朝との間が円満でなかった。 そもそも保元の軍功は、たれの目でみても源義朝とその部下の軍略と奮戦とによるもので、平清盛らはただ味方をしたというほかは格別の働きもなかったのに、平氏は清盛の功に…