清盛が福原に別荘を設けてのはその地の風光を愛したのも一原因に相違ないが、大輪田泊(おおわだのとまり・今の兵庫)が海隆の要衝であり、特に平家の地盤たる西国との連絡上、ここの築港や音戸の瀬戸の開鑿(かいさく)などに力をそそいだので、この事実を…
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