清盛は次女徳子を高倉天皇の中宮に入れて徳子の皇子降誕をしたのも厳島神社であった。そうして懐妊の兆を知るや安産の日まで月詣でを欠かさなかった。説をなす者は清盛は厳島神社の巫女を情人としていたから、御安産月詣でを口実に彼女に通ったのだと。とも…
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