途中、十三歳の頼朝は朝からの合戦の疲れに馬上で居眠りが出て一行に遅れること二度、はじめは捜し出したが二度目はついに見つからない。 義平を飛騨に、朝長を信濃にやって甲斐信濃の一族に連絡させたが、途中の雪に朝長の傷は悪化した。義朝はこれを自刃せ…
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