信頼と義朝とが起てば、清盛が信西を援けるのは必定である。あたかも好し、その清盛が熊野詣での留守を見て、それが清盛の彼らの蜂起を誘発するために与えた隙とも知らず、平治元年十二月九日の夜、急遽、兵を挙げて三条烏丸の御所を囲んで火を放った。信西…
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