(四)平治の乱の翌年、永暦(えいりゃく)元年の十二月、十九歳の隆信は、その十一月二十三日に亡くなられた美福門院のおん遺骨を高野山に納める僧俗一行の中心となって、伏見草津から出る未明の船のなかにうずくまっていた。 六年前に先立たれた鳥羽院は、…
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。