呪詛事件よりも差し迫った問題は、皇子もなく夭折(ようせつ)された近衛天皇の後継者の決定であった。皇位継承の候補者なら同じく美福門院の姫宮八条院暉子(しょうし)を一時女帝にでも、さては仁和寺の若宮すなわち第五皇子覚性法新王を還俗させてなど、…
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。