その時、泰子を册立(さつりつ)して皇后とし、高陽院の号を授けた。泰子としてはこの地位を確立しておかなければ不安であったに違いない。 この時得子は二十三歳、そうして泰子はもはや四十を過ぎていたが、まだ皇子も皇女も降誕がなかった。これに反して得…
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