この時敗軍中の大立者であった左大臣頼長は逃げる馬上で流れ矢に当たって死んだが、この藤原長者たる大旦那を失った南都の蔵俊は『唯識比量抄』(ゆいしきひりょうしょう)を八月十四日に浄書し終わって「筆ヲ執ッテ書カントスル二文字モ紅涙ニ染マル」と奥…
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