皇円は摂政兼家の四男、豊前守(ぶぜんのかみ)藤原道兼の四世の孫で、長兄資隆(すけたか)が肥後守であったために肥後のアジャリと号したので、当時『扶桑略記』(ふそうりゃっき)の推敲中でもあったろうか、当時功徳院の門は常に閉ざされていた。(佐藤…
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。