一を聞いて十どころか、百も知ろうかというお人です。実は、はじめ兄上が勢至丸(せいしまる)とご命名になったのを、もったいないと思ったものでしたが、今ではよくもおつけになったと感心して、わたくしは文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の再来かたとも考えて…
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