堀川天皇は末代の賢君といわれた方で、白川上皇のむつかしい院政の下にありながらも、ご自身の政務は決しておろそかにはなさらず上奏文なども一々お取り上げあって、夜中にご自身でお目を通され、ところどころには下げ紙をつけて「此の事尋ぬべし」とか「此…
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