2014-01-01から1日間の記事一覧

木魚歳時記 第1038話

会った人が皆んな友達 (石川 洋) 以前に「炎天や近くて遠き解脱門」という俳句? を詠みました。いま読み返してもまことに<坊主くさい>しんきくさいものです。 清少納言は『枕草子』の中で「遠くて近きもの 極楽。船の道。人の中。」と書いています。極…

木魚歳時記 第1037話

底ひかるただの人になりたい (石川 洋) このホームページで「愚者の自覚」という浄土宗の標語が気にかかるとといいました。誤解があってはいけませんのでそのことに触れておきます。 気にかかるとは「愚者の自覚」というキャッチフレーズが現代社会のとり…

木魚歳時記 第1036話

花ひらく天地いっぱい總がかり (石川 洋) ぼくは、6年前から俳句を始めました。それから人物クロッキーも、3年ほど前から始めました。二つともめずらしく続いています。 クロッキーといっても先生について習うのではありません。同好会みたいなグループ…

木魚歳時記 第1035話

背中が光る そんなウソのない 人生を歩いてみたい (石川 洋) 「未だに嗚咽する夜の街。旅人の口は固く結ばれてゐた。うでてつるつるした卵を食ふ時だけ、その大きさだけの口を開けた」。つぎに揚げる句について三鬼は上記のように自解しています。 広島や…

木魚歳時記 第1034話

よいことをして忘れること (石川 洋) 三鬼の作品を見ると、ロマンチスト、ダンディストのほかにニヒリスト、ナルシスト、ドンキホーテといった三鬼像が浮かび上がるといわれます。その三鬼の句に、写生句に近い代表作があります。 枯蓮のうごく時来てみな…

木魚歳時記 第1033話

棺桶はお一人ご一人様である (石川 洋) ロマンチストでありダンディストで知られる三鬼は、女性にまつわる話題に事欠かかなかったようです。放蕩(ほうとう)、女たらし、そんなイメージをぼくはもっていました。 中年や遠くみのれる夜の桃 三鬼 ぼくは揚…

木魚歳時記 第1032話

山が笑う 空が笑う 私が光る (石川 洋) 「好きな俳人は?」と尋ねられ、迷うことなく西東三鬼と答えました。その理由は「言葉の魔術師」に惹かれたからです。 水枕ガバリと寒い海がある 三鬼 揚句は「三鬼が肺浸潤の高熱に犯されたとき、死の影が寒々とし…

木魚歳時記 第1031話

澄んだ眼を 澄んだ涙を 澄んだ祈りを (石川 洋) 「浄土宗21世紀劈頭(へいきとう)宣言」があります。 愚者の自覚 家庭にみ仏の光を 社会に慈しみを 世界に共生をの四つの標語のことです。 いずれもすばらしい標語ではありますが・・しかし、なんとなく…

木魚歳時記 第1030話

人生 逃げ場なし逃げたらあかん (石川 洋) 石川 洋先生が京都山科の「一灯園」におられたころ、ぼくは数回お出会いする機会がありました。常に弱者に対する思い入れと、その方々に対して手をさし伸べられる行動力には、遠くから尊敬の気持ちをもって眺めて…

木魚歳時記 第1029話

花 無心にして 蝶を招き蝶 無心にして 花を尋ねる (良寛禅師) もうだいぶん前になりますが、ぼくのところにつぎのようなメールが舞い込みました。「わたし木魚のことを調べたくて、ネットで<木魚>と検索エンジンをかけたところ『木魚歳時記』がずるずる…

木魚歳時記 第1028話

薪は燃えて灰となる その前後あったとしても薪は薪であり灰は灰である (道元禅師) 吉野先生は素敵なお方でした。住居学がご専攻と聞いていましたが、いつもにこやかな笑顔を絶やさないでぼくたちに接して下さいました。 その吉野先生の訃報を聞いたのは、…

木魚歳時記 第1027話

働くことを知らないうでや足はだんだん細くなっていく (米田啓祐) 松尾芭蕉は「俳諧(はいかいは)三尺(さんせき)の童(わらべ)にさせよ」といったそうです。マコーレイという詩人は「偉大な詩人たらんと願うものは、まず小さな子供にならねばならぬ」…

木魚歳時記 第1026話

人の意見や人の注意を聞けない耳は小さい (米田啓祐) 今日とちがい、昭和初期ごろの女流俳人の数はわずかであったようです。中村汀女・星野立子・橋本多佳子・三橋鷹女など・・4Tと称された女流俳人の中で、鷹女の俳句にぼくは惹かれます。しかし、鷹女の…

木魚歳時記 第1025話

「ぼくが」 「わたしが」と自分のことをじまんする鼻は高い (米田啓祐) 大学事務をリタイヤした時に俳句を始めました。それを記録に残すために、このホームページが始まりました。 俳句も写真も小文も同じ。そんなふうに感じていたところ芭蕉の次の一句と…

木魚歳時記 第1024話

不平を言ったり もんくを言ったりする口は大きい (米田啓祐)みとりの大空のように 空(くう)の心は 限りもなく涯(はて)もない それは 増えもせず減りもせず すべての動揺を離れる 躓(つまづ)くことにも迷わず たゝすべての怖れを離れる若葉にしたゝる…

木魚歳時記 第1023話

怒りは無知 泣くは修行 笑うは悟り (大石順教尼) 孤高の哲学者と慕われた小笠原秀實先生に『般若心経の意』というお歌があります。『般若心経』(はんにゃしんきょう)を理解すための参考となれば考えまして・・2回に分けてご紹介をいたします。形あるも…

木魚歳時記 第1022話

ただほれぼれと 掌をあわせたいかしこいひとが いったように (八木重吉) きれいな花模様のグラスが描いてあり、その横に血を流した女性が描いてありました。哲ちゃんが描いた「地雷」の絵のことです。 「きれいな花模様の絵を描いていたらな、テレビで戦争…

木魚歳時記 第1021話

そらは 誰のもの だろうわたしは わたしのものだろうか (田中寒桜) 髪の毛とか、ベール(着布)がうまく描けているねえ。哲ちゃんの描く「ビーナス」の絵のことです。「どこから描き始めるのやろか?」と、ぼく。「どこからかなぁ・・迷ったらもう描けへん…

木魚歳時記 第1020話

働くことを知らないうでや足はだんだん細くなっていく。えらいことや、苦労から逃げよう逃げようとしてうでや足はだんだん細くなっていく。 (米田啓佑) その他にも、哲ちゃんの描く絵には赤色が多いようです。たとえば『アシュラ』と表題のついた絵もそう…

木魚歳時記 第1019話

人の意見や、人の注意を聞けない耳はだんだん小さくなってしまっている (米田啓佑) 哲ちやんの描いた「アリのお遍路(へんろ)」という絵を見ると、蟻(あり)さんが真っ赤に塗られてありました。そこでぼくは哲ちゃんにたずねました。「哲ちゃんの描くア…

木魚歳時記 第1018話

「ぼくが」 「わたしが」と自分のことをじまんする鼻は高い (米田啓佑) 哲ちゃんの絵が教科書に乗りました。「大仏さんもクシャミが出そう」というタイトルでした。 奈良の大仏さんの<お身ぬぐい>のとき、お坊さんたちはマスクをかけてお身ぬぐいをする…

木魚歳時記 第1017話

不平を言ったり もんくを言ったりする口は大きい 自分の主張ばかりする口は大きい (米田啓佑) 哲ちゃんは障害を持つ子です。絵を描くことが大好きで、いつも、生き生きと元気に暮らしています。 「金閣寺は金色やけど、銀閣寺はネズミ色や、なんでや?」と…

木魚歳時記 第1016話

どのような不幸を 吸ってもはく息は 感謝でありますようにすべては恵みの呼吸ですから (河野 進) 或る町に一人の貧しい貧しい老婆が住んでいた。或る日、町に修行者がやってくることを知り、灯明に使う油を寄進したいと思った。そこで、わずか二銭ばかりで…

木魚歳時記 第1015話

おまえ七十年も歳月を浪費して何を悟ったのかハイ 天狗の鼻が折れました (榎本栄一) 若い修行者が鬼と出会った。そして鬼から[諸行無情」(しょぎょうむじょう)「是生滅法」(ぜしょうめっぽう)という偈文(げもん)を教えてもらった。さらに続きがある…

木魚歳時記 第1014話

病いが また一つの世界をひらいてくれた 桃 咲く (坂村真民)どの水滴がどの水滴とくっつくかはまさに偶然 出会い頭(がしら)でたらめ いいかげん この一見理由のないいいかげんが また種々のいいかげんと重なりあって まったくの良い加減(かげん)の結果…

木魚歳時記 第1013話

祈る人は 祈ってくれる人を知る信じる人は 信じてくれる人を知る家畜や 草木でさえ知っているのだから (河野 進)天から降ってきた 一粒の水滴が 無数に集まって水たまりとなる その水たまりが 無数に集まって流れとなる 無数の流れが寄せあって 川となって…

木魚歳時記 第1012話

涙には 涙にやどる ほとけありそのみほとけを法蔵という (木村夢相) 大徳寺を開いた大灯国師(だいとうこくし)の三十三回忌法要の前夜、おそくまで続く修行僧たちの読経の声を耳にしながら、一休禅師(いっきゅうぜんじ)は、若くて美しい女性と愛欲のる…

木魚歳時記 第1011話

ひとりじゃないんだよひとりじゃないんだよ生きる そのことがにょらいの生 (木村夢相) 京都神泉苑(しんせんえん)のほとりに一人の老女が住んでいた。空也上人(くうやしょうにん)はときおり、その老女が欲するままに生臭物などを買いもとめて与えていた…

木魚歳時記 第1010話

生きるんだよ生きるいのちの中ににょらい まします (木村夢相) いささか古いお話ですが・・双子の長寿姉妹<きんさん>と<ぎんさん>がおられました。その<きんさん>が百七歳で亡くなられたときのことです。それまで元気にしていた<きんさん>が寝床に…

木魚歳時記 第1009話

生きるんだよ 生きるんだよどんなに くるしくても (木村夢相) 釈迦(しゃか)がまだ出家(しゅっけ)されず、太子(たいし)、すなわちシッダルタ王子であったころのことです。『仏本行集経」(ぶっぽんぎょうしゅうきょう)に「四門出遊」(しもんしゅつ…