2013-12-26から1日間の記事一覧

木魚歳時記 第728話

観世音菩薩の蓮台は我等衆生を乗たまふ 観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)は、阿弥陀如来(あみだにょらい)の脇侍(わきじ)となる菩薩です。慈悲と救済を特色とされる菩薩です。両手で蓮台(れんだい)を支えておられます。 観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)…

木魚歳時記 第727話

大威徳王菩薩の曼珠には無漏説法まどかなり 大威徳王菩薩(だいいとくおうぼさつ)は、左手に帯状の飾り物である瓔珞(ようらく)を持たれます。そして、広大無辺、すなわちかぎりない威力(いりょく)で、われわれ衆生を救済して下さる菩薩です。 大威徳菩…

木魚歳時記 第726話

むへんしんの焼香は如来に供養し奉る 無辺身菩薩(むへんしんぼさつ)は、地蔵菩薩(じぞうぼさつ)とおなじ僧形(そうぎょう)、つまりお姿をしておられます。(たとえ自身が身替となったとしても)衆生の救済を願われる菩薩です。地獄の果てまで追って・・…

木魚歳時記 第725話

虚空蔵のこしづゝみ能満福智のおと高し 虚空蔵菩薩(こくぞうぼさつ)は、広大無辺(こうだいむへん)、無尽蔵の智恵を持つ菩薩です。「虚空」(こくう)とは、何ものにも打ち破られない<空間>を示します。「蔵」(くら)とは、わたしたち衆生に安楽(あん…

木魚歳時記 第724話

三昧王のてんげは虚空海会に散乱す 三昧王菩薩(さんまいおうぼさつ)は、正法(しょうぼう)、すなわち、この世の正しい教え、つまり仏教に心を集中できる徳をもつ菩薩です。 仏教でいう「三昧」(さんまい)とは、心を静めて一つのことに集中できる<心の…

木魚歳時記 第723話

華厳王の銈のおと唯心法界すみわたる 華厳王菩薩(けごんおうぼさつ)は、因果(いんが)の道理(どうり)をお説きになる菩薩(ぼさつ)です。因果の道理とは「過去の原因により現在がある」という古代いインドの思想です。 華厳王菩薩の打つ銈(けい)の音…

木魚歳時記 第722話

寶蔵菩薩のふえの声三解脱門の風すゞし 寶蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)は、七種の宝をお持ちになり、願いにより、その宝をわたしたちに与えて下さる菩薩です。七種の宝とは、不利益や苦を除き、利益(りやく)と安楽を与えて下さる、この菩薩の慈悲(じひ)の特…

木魚歳時記 第721話

「二十五菩薩」についてお話します。菩薩(ぼさつ)とは、悟りを求めて修行する修行者のことです。世界平和の実現をめざすボランティア(奉仕者)のことです。 梶原重道師著『菩薩曼陀羅』(ぼさつまんだら)より珠玉のことばを紹介します。あわせて、人形作…

木魚歳時記 第720話

作家の水上勉氏は若狭で獲れた小魚を<いさざ>と呼びかげろうのようにはかない命の魚だと記しておられます。 「雪のうちに佛の御名を称うれば 積もれる罪ぞやがて消えぬる」(法然上人) 水上氏は<いさざ>のおどり喰いはできなかったとも書いておられます…

木魚歳時記 第719話

浄土真宗中興(ちゅうこう)の祖といわれる蓮如(れんにょ)上人は、あえて不遜(ふそん)ないい方をすれば、快男児でありました。 「ポンプにはいつも水を」(野上弥生子) 蓮如上人は、たえず自筆の「御文」は(おふみ)をお書きになり各地の門徒(もんと…

木魚歳時記 第718話

パソコンで原稿を書くと文字を忘れやすくなる?そんなことを耳にします。確かにそうかも知れません。文字の意味<文字文化>とは縁遠くなるようです。 「何事につけあわてんように しなはれや」(立花大亀老師) 仏教では「思惟」(しゆい)といいます。対象…

木魚歳時記 第717話

テレビで蟹(海に棲む大型蟹)の脱皮するシーンを見ました。蛇の抜け殻はみたことがありますが・・まさか蟹が脱皮するとは?これを見て「目から鱗が落ちた」思いでした。 「なんじの道を進め、そして人をして 語るにまかせよ」(ダンテ) 仏教では「開眼」(…

木魚歳時記 第716話

地球の裏側に行くと文化も違うものです。ブラジルでは、骸(なきがら)を穴の空いた棺に入れ、墓地に安置したそうです。「人は虫になり空へ飛んでゆく」とか。 「いい酒を呑め」(小津安二郎) 釈迦(しゃか)が亡くなったとき、弟子たちは悲しみ、スツーパ…

木魚歳時記 第715話

コラポレーションのことばが流行しています。たとえば、料理番組ですと材料の<とりあわせ>の意味に、このことばが用いられます。 「相共に賢愚」(聖徳太子『十七条憲法』) 無味乾燥と見えるバランスシート(貸借対照表)にも、血のにじむような喜怒哀楽…

木魚歳時記 第714話

イギリス紳士の身につけるべきはセンス・オブ・プロポーションといわれます。つまり、バランス感覚のことです。どうしたことか、ぼくは<人間距離>に敏感すぎるようです。結果、おべんちゃらのサトウ。 「ヒトリ ダマリノミチ ナガイ フタリ ハナシノミチ …

木魚歳時記 第713話

ぼくは好き嫌いの激しいタイプです。嫌いな人のことを大黒さんに話すと「その人あんたにそっくりやんか」と笑われてしまいました。「生死ノ別ルゝ瞬間アラユル外形的取扱ヒヲ辭ス、 森林太郎トシテ死セントス」(森 鴎外) 仏教では「縁起」(えんぎ)を説き…

木魚歳時記 第712話

石見の下駄職人で「妙好人」(みょうこうにん)といわれた浅原才一さんのことは、以前にも、このホームページ((第4話)でご紹介しました。ふたたび才一さんのことを・・ 「心とはなにか、己が心田にひそむ真実を ボーリングする営為である」(水上 勉) 熱…

木魚歳時記 第711話

お経を訓読(くんどく)、すなわち<読み下し>をしないのはなぜか?たしかに、お経は「音読」(おんどく)する場合がほとんどです。これには重要な問題点がいくつかあります。 「されば人、一日一夜を経るにだに、 八億四千の思ひあり」(謡曲『求塚』) 教…

木魚歳時記 第710話

豪快な象の放下(大小)のシャッターチャンスに恵まれました(写真)。さて、「放下」(ほうげ)とは、禅家の用いる用語で「放り投げて落す」意味となります。 「与えるもののよろこびの 餅をいただく」(種田山頭火) 「放下」(ほうげ)とは、放り投げて落…

木魚歳時記 第709話

コンパニヨンは仲間の意味です。一緒に<コン>(ぱん)を食べた間柄が語源だそうです。同じ釜の飯を食った仲間のことです。仏教ではこれを「和合衆」(わごうしゅう)と呼びます。 「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買い来て妻としたしむ」(石川啄…

木魚歳時記 第708話

「心くばりはするが神経は使わない」。これが大切です。ぼくはいつもその反対です。神経はすりへらしますが<おもいやり>の心、ましてや「慈悲」(じひ)のかけらもありません。 「人間は一人で歩いてゆくには 少し小さすぎる」(『幸福者』武者小路実篤) …

木魚歳時記 第707話

「あんたにそっくりや」。寺を継ぎに戻った息子がぼくに似ているそうです。長いこと離れて生活をしていたのに「不思議」(ふしぎ)なことです。 「子供というものは なんにも知らん顔をしてなんでも 知っているものだ」((『化粧と口笛』川端康成) 「不可…

木魚歳時記 第706話

「人の不幸は蜜の味」とか、他人の<うわさ話>に花を咲かせるのは・・みんな大好きです。仏の「長広舌」(ちょうこうぜつ)はこれとは違います。 「楽は苦の種、苦は楽の種」(民間伝承) 「長広舌」(ちょうこうぜつ)とは、仏さまに備わる三十二相(三十…

木魚歳時記 第705話

人はそれぞれ<自分の領域>を持っています。その<ナワ張り>が侵されるのを嫌います。とりわけ左後方が要注意つまり「鬼門」(きもん)です。 「本気なら何をしたって 立派だからね」((『多情仏心』里見 弴) 陰陽道(おんみょうどう)では、南面して左…

木魚歳時記 第704話

家族たちは「よかったよ」と云うかな?いまさら聞くのも照れくさいので、お浄で再会したとき聞くことにしています。 「おシャカさまは良いこといっていますよ 苦しむことは楽しむこと 楽しむことは苦しむこと」(棟方志功) 人間、欲望を満たそうとするのは…

木魚歳時記 第703話

息子に自由な進路を選ばせて上げたかった・・娘二人にもっと好きなことさせてあげたかった・・なんやかんや、あれやこれや、ぼくに悔悟がおしよせてきます。 「にっこり笑えば鏡もわらう」(藤並天香) 仏教で「求不得苦」(ぐふとっく)と云います。「求め…

木魚歳時記 第702話

寺を守って常夜灯のように君臨される大黒さま(写真)です。ぼくは、このお方さまとの別れがやって来ても、そんなに悲しまないかも知れません?なぜでしょうか・・それは、お浄土で再会することにしているからです。 「愛は努力ですよ」(『津村教授』山本有…

木魚歳時記 第701話

ぼく(写真)は、ものごとに熱中するタイプです。熱中というより<こだわる>といったほうがあたっています。しかも、飽きやすくて冷めやすいので困ります。もっと<自然体>になれへんのやろか? 「おこるなしゃべるなむさぼるな ゆっくりあるけしっかりあ…

木魚歳時記 第700話

密教(みっきょう)系の僧侶は、読経をされる前に「手印」(しゅいん)といって、指の屈伸による秘密(ひみつ)の作法をされます。それに接しますと厳かで身のひきしまる思いがすることは確かです。 「密なるものの語る声は静か」(梅原 猛) 「秘密」(ひみ…

木魚歳時記 第699話

不平・不満あると、他人や社会にその原因を追求したり、ひいては、そのことで怨念(おんねん)すら抱いて苦しむことがあります。仏教ではこれを「求不得苦」(ぐふとっく)と称します。 「あらためて益(えき)なきことは、 あらためぬをよしとするなり」(…