2013-12-24から1日間の記事一覧

木魚歳時記 第581話

百八の数は、除夜に撞く鐘の数をあげるまでもなく、煩悩(ぼんのう)の数を顕したものとされています。それではこの百八の数は、いったいどこから出てきたのでしょうか? 古代インドでは、人間には、六つの感覚器官(眼・耳・鼻・舌・身・意)があって、それ…

木魚歳時記 第580話

「輪廻」(りんね)の原語は、サンスクリット語のサンサーラであります。これは「流れること」という意味です。ですから、サンサーラは「流転」(るてん)とも訳されることもあります。 古代インド人は、生あるものが、さまざまな形態に生まれかわると信じて…

木魚歳時記 第579話

「閼伽」(あか)とは、古いインド語アルギャを漢字に音写したものです。アルギャには「価値のある」の意味があるところから、転じて、アルギャは客人をもてなしてささげる水のことを指すともいわれます。 アルギャは人間にかぎらず、神や祖霊に対してもささ…

木魚歳時記 第578話

「甘露」(かんろ)とは、インドの古いことばである「アムリタ」の訳語であります。これを飲むと不老不死になるとされる神々の飲料であります。 「アムリタ」は、また、ニルヴァーナ・涅槃(ねはん)の同義語として用いられることがあります。仏教のことを「…

木魚歳時記 第577話

「卍」(まんじ)の起源についてはさまざまな説があるようですがここでは省略をいたします。仏教で用いられる卍は、四方にかぎ形に伸びる象形よりしても、また古来、音写を「まん」とし、萬の字をあてることよりしても、非常に縁起のよいものとされていたよ…

木魚歳時記 第576話

「阿」(あ)は口を開いて発する最初の音声であり、「吽」(うん)は口を閉じて発する音声で、前者が字音の最初、後者が最後の字音であると説明されます。ここから「阿吽」(あうん)は、ものごとの「初まりと終わり」を象徴するとされます。 そののち、阿吽…

木魚歳時記 第575話

「曼荼羅」(まんだら)とは、仏の悟りの世界を図によって象徴的に示したものです。 わたしたちのこの世界は、一つの大きな生命体のように、深いところでつながりあい、それぞれの現象がバランスを保ちながら成り立っています。この宇宙における万物の調和と…

木魚歳時記 第574話

仏教神話において、須弥山(しゅみせん)の中腹に住んで、須弥山の四方を固めるのが四天王(してんのう)です。 まず、東に「持国天」(じこくてん)がいます。持国天は「持続する国を持つ者」の意味で、多くの鬼たちを率いて東を守ります。南面には「増長天…

木魚歳時記 第573話

「相好」(そうごう)とは、ブッダ(仏)の身体にそなわる特徴のことです。これが転じて、現代でも、うれしいことに接したときなど「相好をくずす」。といったように用いられます。 相好の特徴を、仏像を例に考えてみましょう。頭の頂が髷(まげ)を結ったよ…

木魚歳時記 第572話

「三宝」(さんぼう)とは、文字どおり、三つの宝物という意味です。では、仏教でいう三つの宝物とは何でありましょうか? それは「仏・法・僧」(ぶっぽうそう)の三つの宝物のことです。まず、真理にめざめた人をブッダ(仏)といいます。この仏(ほとけ)…

木魚歳時記 第571話

仏教寺院の本堂ないし諸堂の正面に壇(だん)を据え、その上に本尊その他の仏像を安置する形式を「須弥壇」(しゅみだん)といいます。これは、前項の「須弥山」(しゅみせん)世界をかたどったものであるといわれています。 おなじく前項で述べましたように…

木魚歳時記 第570話

宇宙の中心をなすものとして、仏教の宇宙観がつくりだした、想像上の山が「須弥山」(しゅみせん)です。 須弥山の上は「天界」(てんかい)に連なり、須弥山の頂上には「帝釈天」(たいしゃくてん)が、中腹の四方には「四天王」(してんのう)が陣取り、下…

木魚歳時記 第569話

「有頂天」(うちょうてん)とは、「あの人いま有頂天になっている」。つまり、なにかに心をうばわれて我を忘れて、舞い上がっている状態を指すことばとして、現代は用いられます。 有頂天の「天」とは、原語で「光り輝くもの」「尊いもの」であります。ここ…

木魚歳時記 第568話

第7章では、仏教の宇宙観、世界観について考えてみたいと思います。 「三界」(さんがい)について。ここでいう「界」とは世界という意味と考えてください。仏教でいう三界(さんがい)とは、①「欲界」(よくかい)。②「色界」(しきかい)。③「無色界」(…

木魚歳時記 第567話

わたくしごとで恐縮ですが、ぼくは俳句を始めて3年半となります。ぼくの所属するのは「京鹿子」という、かなり多くの会員数を擁する全国的な俳句結社です。 その結社主催の、17年度「京鹿子祭」(11月)で、期せずして「平成17年度京鹿子祭募集秀逸賞…

木魚歳時記 第566話

「阿弥陀仏」(あみだぶつ)の原名は二つ有ります。①アミターヤス(無限の寿命を持つもの) ②アミターバ(無限の光明を持つもの)であります。 『無量壽経』という経典の中に、法蔵菩薩という修行者があり、「衆生救済(浄土往生)」の願いを立て、その願が…

木魚歳時記 第565話

「薬師如来」(やくしにょらい)または「薬師瑠璃光如来」(やくしるりこうにょらい)といい、衆生の病苦を除き、安楽を与える大願(たいがん)を発して仏と成られました。現世利益(げんせりやく)もあって、薬師信仰は盛んです。日光菩薩、月光菩薩を脇侍…

木魚歳時記 第564話

「大日如来」(だいにちにょらい)の略です(如来と仏は同じと考えてください)。サンスクリット語ヴァイローチャナの意訳です。音訳の場合は「毘廬舎那」(びるしゃな)となります。つまり、大日仏と毘廬舎那仏はおなじ仏さまのことです。 華厳経(けごんき…

木魚歳時記 第563話

「釈迦牟尼」(しゃかむに)の略です。約2500年ほど前、北インド(現在のネパール空港のあたり)に居住した釈迦族の聖者を意味しましたが、没後、神格化されて「釈迦牟尼仏」(しゃかむにぶつ)と称されました。 釈迦(幼名ゴータマ)は、難行苦行の結果…

木魚歳時記 第562話

「仏」(ぶつ)とは、サンスクリット語の「ブッダ」、すなわち「真理に目覚めた人」のことです。「ほとけ」とか「如来」(にょらい)という呼称もありますが、ここでは<ぶつ>としておきます。 「仏」(ぶつ」と、「釈迦」(しゃか)が真理に目覚め、釈迦牟…

木魚歳時記 第561話

「行基菩薩」(ぎょうぼさつ)は、いうまでもなく、仏教の民間布教と社会事業に貢献された「聖」(ひじり)、すなわち、歴史上の人物でありますから、今まで述べてきた菩薩とはまた違った意味があります。 行基は「市の聖」と称せられ、文殊の化身とも称せら…

木魚歳時記 第560話

日本固有の神、九州宇佐氏の氏神に始まるとされる「八幡大菩薩」(はちまんだいぼさつ)は、上記の諸菩薩とはまた、違った意味の菩薩といえます。 伝承では、応神天皇の垂迹(すいじゃく)神、応神降誕のtき赤旗八流が虚空にたなびいた・・ことにもとづくと…

木魚歳時記 第559話

「虚空蔵菩薩」(こくぞうぼさつ)は、虚空の無量の智慧と功徳を宿す菩薩として、やはり、現世利益をもたらす菩薩として庶民の間に信奉されてきた菩薩です。ここでいう「蔵」とは、すべての人々に安楽を与える宝を収めている、という意味になります。 虚空蔵…

木魚歳時記 第558話

「地蔵菩薩」(じぞうぼさつ)のことです。バラモン教の地神をル-ツに仏教に受容されたという説もあるようですが、いずれにしても上記の4菩薩が仏教の正統派の菩薩とすれば、地蔵菩薩は庶民信仰の中から誕生し広まったといえます。その理由は、原語が大地…

木魚歳時記 第557話

「普賢ぼさつ」(ふげんぼさつ)は前述の文殊菩薩とともに釈迦三尊を形成します。密教では、普賢菩薩が「延命法」(えんめいほう)の本尊として普賢延命菩薩と讃えられます。 『法華経』(ほけきょう)には、普賢菩薩が白象に乗って現れ、信奉する者たちを守…

木魚歳時記 第556話

「文殊菩薩」(もんじゅぼさつ)のことです。「文殊の知恵」という言葉があるように、仏に代わって説法を行うほどに智慧をそなえた菩薩と伝えられています。 仏教美術において、文殊菩薩は、普賢菩薩(ふけんぼさつ)とともに、釈迦の脇侍(わきじ)として登…

木魚歳時記 第555話

「勢至菩薩」(せいしぼさつ)は、『無量壽経』(むりょうじゅきょう)というお経の中に、阿弥陀仏(あみだぶつ)の脇侍(わきじ)として登場します。観世音菩薩が、慈悲をもって衆生を救済するのに対して、勢至菩薩は、智慧をもって衆生を救済すると説かれ…

木魚歳時記 第554話

「観世音菩薩」(かんぜおんぼさつ)の略であります。原語サンスクリット語のアヴァローキテーシュヴァラを「観世音」(かんぜおん)と意訳するには、学問的にさまざまの問題もあるそうですが・・ここでは慈悲・救済を特色とする菩薩ということで留めておき…

木魚歳時記 第553話

「菩薩」(ぼさつ)は、サンスクリット語のボディ・サットバの音写といわれます。ボデイ(菩提)は悟りを、サットバ(薩)は生きるものを意味するところから、菩薩とは「悟りを求める人」「「悟りをそなえた人」の二つの意味があるといわれます。 仏教が受容…

木魚歳時記 第552話

第5章で、インド古来のヒンズー教の「神」について述べました。その神々のほとんんどが、わたしたち庶民のいだく、自然への畏敬の気持ちが・・そうした神々を誕生させたこともわかりました。日本の寺院の山門に仁王あり、伽藍に阿修羅あり、厨房に大黒あり…