木魚歳時記

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木魚歳時記 第3827話

第十一章 平治の乱(一) 本院鳥羽上皇が崩じて保元の乱となり、敗軍の新院が讃岐にうつされ奉ったのは、堀川天皇以来七十年ばかりつづいていた院政もなくなり、当年三十歳の後白河天皇には、親政という朝家永年の理想を実現する絶好の機会でありながら、保…

木魚歳時記 第3826話

もとより手箱の底ふかく秘めている。もしそれがなかったらあの成菩薩院の昼のことも高野山上雪のあやかしと同じように思うかも知れない。それにしてもあのおん似顔絵は今、皇女八条院さまのお手もとにでもあるのであろうか。 あたかも一年後、五月以来の御不…

木魚歳時記 第3825話

おん似顔絵は奉ったが、おん裸形の神々しさは、写し奉らぬ走り描きを差し上げしぶるというのも、実は手もとに頂いて置きたいわが心を見抜かれたか、宮はわが形見にもせよと賜って、「たれびとにも見せるなや」 と仰せられた。(佐藤春夫『極楽から来た』)51…

木魚歳時記 第3824話

「衰えは髪かたちばかりかわ」 と仰せられ、さて、つとお立ち遊ばされた時であった。召されていた白づくめた絹五重のひねりがさねは、ぱらりとほどけ落ちおん足のぐるりにまつわって、宮は淡雪の庭か霙の渚の水沫(みなわ)のなかに裸形で下り立たれたかのよ…

木魚歳時記 第3823話

精根をこめて写し奉ると、美しいお手に(宮は特別にお手のお美しいお方であった)おとりあらせてつくづくと見られ、おん頬をほころばせて、「さながら鏡に写し出して見るような。そちは世にいみじき上手である。なお勉めよ」 と、お言葉を賜りながら、宮はつ…

木魚歳時記 第3822話

と、思いがけない宮の仰せに驚いて、「ただ今けいこ中の未熟者で、それも手ほどきの師もなきひとりげいこの事、仰せは憚(はばか)りながらご辞退申し上げます。何とぞ他の上手にお仰せつけを」「いや、たってそなたでなくてはかなわぬ」と、かねてご用意の…

木魚歳時記 第3821話

「しばらく見ぬ間に、そなた大した絵の上手になったとほまれを人々が伝えるが、今日召したのはその事である。わが身も、もはや三十九になって老いも遠くはない。それに近いうちに髪をはやそう(髪をおろすの意の忌み詞)と考えている。それにつけて、そなた…

木魚歳時記 第3820話

その年の行く春の一日、門院からのお召しの御使者があった。宮はそのころ鳥羽離宮の泉殿の跡の成菩薩院の一間をご在所にしておられた。伺候(しこう)してみると、宮ははなだ色の地に雲をこまかくつけたおん上衣の褻衣(けぎね)でおくつろぎのように拝せら…

木魚歳時記 第3819話

(五)身が十四のころ、門院は三十九になると仰せられたから、たしかに六年前の事には相違ない。しかしそののち、世にさまざまな事どもがあわただしく続出したせいか、事どもはおぼろめき、すべてが夢かまぼろしのようである。(佐藤春夫『極楽から来た』)5…

木魚歳時記 第3818話

「たれびとにも見せてやるな」 と小声が、かすかながらもほがらかに聞こえた。門院の声に似ている。確かめようと再び耳をすますと、声はしずかな山の渓谷の底を行く水のせせらぎにしか過ぎないように思われた。 すべては雪のあやかしではあるが、由来すると…

木魚歳時記 第3817話

高野に来てみると山風は途中の川風よりもなお寒くて、山では峰も林もかきくらして雪がふり出して来た。ふりしきる雪のなかで隆信はふと吉祥天女か何かが天降ったかのようにすんなりと立って一糸をもまとわぬ女体を幻に見た。隆信は同行の人々をはばかって、…

木魚歳時記 第3816話

一切は無常、生者は必滅と知らぬでもないが、世にも美しいおん方がこの世界から消えて行ってしまった悲しさは、一身の最も頼もしいうしろ盾(たて)が失われたというようなそんな打算から出るものではなく、大地の覆滅とまではいわないまでも、よい平安の時…

木魚歳時記 第3815話

そのため遺骨を捧持(ほうじ)して船の上座にすえられている弱年の隆信には終始窮屈な思いであった。 それだけに隆信の感激も悲嘆も大きかった。明けゆく曙のあかねの色の雲も、船ばたを打つ川浪の音も、わけても耳や鼻さきに痛い十二月の水の面を渡って来た…

木魚歳時記 第3814話

門院は鳥羽院の鳥羽院の御願寺たる高野の伝法院の覚鑁上人(かくばんしょうにん)の高弟兼海には平素から深い帰依で、当時蹴(け)まりの名手とうたわれた寵臣藤原成道の末子を猶子とした大納言のアジャリを身代りに高野に遣わして上人に仕えさせていたし、…

木魚歳時記 第3813話

門院おん百年の後は、同じ寝園に収め奉るのが鳥羽院のおん意志でもあり、この新御塔がやがては比翼塚になるなるものとの人々の予想に反して、門院は遺骨を父祖三代の好因縁のある隆信に守らせて高野山の寺に渡せとの遺言があって、それがいま実現されている…

木魚歳時記 第3812話

(四)平治の乱の翌年、永暦(えいりゃく)元年の十二月、十九歳の隆信は、その十一月二十三日に亡くなられた美福門院のおん遺骨を高野山に納める僧俗一行の中心となって、伏見草津から出る未明の船のなかにうずくまっていた。 六年前に先立たれた鳥羽院は、…

木魚歳時記 第3811話 

父祖の才能を受け、また幼少で苦労した隆信が早熟であったのは怪しむには足らないが、彼は早く十二、三歳のろから、後年その方面に巨匠として幾多の名作を遺している画道、特に肖像画家としての天才を発揮しはじめて、その神童のほまれは上流社会に喧伝(け…

木魚歳時記 第3810話 

一般にその時代の縉紳家(役人を出す知識階級の家)の子弟は早熟早老の傾向があったもので『源氏物語』などのは物語の誇張か、もっと極端であるが、十二、三歳で異性を知るようなのは普通であったらしい。実朝なども十歳以前に詠歌も一通りには熟達していた…

木魚歳時記 第3809話 

しかし九歳で介に任じられ、それも遥任(ようにん)でゃなく現地に赴いている。つづいて十一歳で守になるような順調な昇進は、その上役や下役がこの可憐な少年をよくいたわって任務に尽くしたからに違いないが、その事はただ、家柄のせいばかりではなく、そ…

木魚歳時記 第3808話 

父祖二代にわたって皇后宮想少進として美福門院に仕えたばかりか、母方の祖母は門院の乳母(めのと)であり、母その人が門院の女臘(上位の女房)であった縁故から、門院が隆信を幼少から愛し身近に感じていたのは事実であり、長ずるに従ってますます隆信を…

木魚歳時記 第3807話 

隆信は九歳のころには上野介(こうずけのすけ)に任じられ、つづいて越前守となり、仁平(にんぺい)二年十二月には十一歳である。そんなに幼少に任官されるのは、その家柄に応じての当年の風習で別に不思議もないが、仁平三年四月、十二歳の彼が若狭守に転…

木魚歳時記 第3806話 

隆信とやらいったあの子は、今幾つになっているのであろうか。指を折ってみると七つか八つであろうか。何としても任官にはまだちと早かろう。門院はいつしか隆信は忘れて、わがひとり子の病弱に生まれついてついに夭折(ようせつ)した者の最も健康であった…

木魚歳時記 第3805話 

(三)門院は今までにただ二度見たばかりであったが、すっかり気に入ってその母親をうらやましいいばかりに思ったその子を、まのあたりにありありと思い浮かべつつ思うのであった。 あんな元気のいいにこにこした子がしょげているとか、今はどんあいやな夢を…

木魚歳時記 第3804話 

その後、加賀がまだ俊成の家にいたころ、門院はもう一度あのよい子の育ったところを見せに来いと、加賀につれて来させた。二、三年前の夏の日であったが、その子は遊び疲れたところをつれて来られたものと見えて、「もったいない、もったいない」 と、しきり…

木魚歳時記 第3803話 

というのはそのふびんな子は、むかし加賀が旧主の子供好きを知って、この初子(ういご)のお宮詣での時、自慢でその子を見せに来たことがあった。まことに自慢してもよい美しく、かわいらしい子で、人みしりもせず、門院の手のなかでにこやかな笑顔を見せた…

木魚歳時記 第3802話 

この高貴な美女は生来特別の子供好きであった。さればこそ義理の子雅に新王が大納言経実の女に生ませた守仁をも進んで引き受け、手しおにかけ喜んで育てた。その時は将来この子を天皇になど野望のもない無償の行為であった。 いま為経の子の話を知って悲しん…

木魚歳時記 第3801話 

俊成は今さらそんな女あ追わないといいながらも、子供たち、わけても隆信のまだ十にも子が行方も知らない母を慕うのには、ほとほと困窮(こんきゅう)している。 もとの女房加賀お同じくもとの少進(しょうしん)、為経との子であり、また古い少進為忠の孫に…

木魚歳時記 第3800話 

為経に捨てられた恨みにか、罪もない幼な子を見捨ててひとり五条三位の家に家にあとがまとなった彼女であったが、俊成はさすがに両親に捨てられた寄るべのない子を引き取ってねんごろに育てていた。その恩義を思わず、あの浮気な三十女は、家人の門に出入り…

木魚歳時記 第3799話 

もとの同僚の加賀やよく見知っているその良人(おっと)はいわば一種の職場結婚である。同じ職場の人々がその結婚のなるゆきを特別の興味を持って絶好の話題にするのは、はしたない話ではあるが、もっともな次第であった。 それは嫉妬心(おんなごころ)にも…

木魚歳時記 第3798話 

歌人の家では、家庭内のこのスキャンダルを世間へ広めないように極力苦心したため、そのうわさは大原の世捨人(よすてびと)あたりを吹く清風はこれを伝えず、従って為経がこれを知らなかったのは幸福であった。 しかし遠い雲の上の美福門院の周囲を吹く風は…