木魚歳時記

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木魚歳時記 第3704話 

さて山に帰ってみると、第三の師匠皇円が永年苦心して推敲(すいこう)した『扶桑略記』(ふそうりゃっき)の完稿を残して、乱後、成道の困難に絶望した結果、五十七億七千万年後に下降(げこう)するという弥勒菩薩(みろくぼさつ)を待つために蛇身を受け…

木魚歳時記 第3703話 

いよいよ末世(まっせ)が現出した、と法然は歩きながら考えつづける。いわゆる闘諍堅固(とうじょうけんこ)、暴力の時代に入ろうというのであろう。次いで必ずまた何事かが起り、その何事かが必ずまた何事かを呼び起さずにはおくまい。 彼は時代の不安をし…

木魚歳時記 第3702話 

この時敗軍中の大立者であった左大臣頼長は逃げる馬上で流れ矢に当たって死んだが、この藤原長者たる大旦那を失った南都の蔵俊は『唯識比量抄』(ゆいしきひりょうしょう)を八月十四日に浄書し終わって「筆ヲ執ッテ書カントスル二文字モ紅涙ニ染マル」と奥…

木魚歳時記 第3701話 

(五)保元(ほげん)元年の晩秋、法然は十五年前に自分の目の前で起こって今もまだありありと眼底に残るほどの忌まわしいでき事が、いまやもっと大仕掛けに、場所もあろうものを、都でもち上り、御所の一部が焼き打ちされたばかりか、その結果は三百四十年…

木魚歳時記 第3700話 

昔ながらの寺々や仏たちを巡って法然は十一月までこの古都にいた。その間に都では七月十一日、天皇家と摂関家の父子、兄弟が牆(かき)に相せめぎ、源平の武者たちも父子、兄弟、叔姪ら相分れての兵乱があったと伝わってきた。 今や古い寺々での仏典あさりど…

木魚歳時記 第3699話 

つまり、学的伝統のない、そんな独創的な鋭い説をはばからず述べるのは、仏、菩薩ならではの大胆不敵さ、敬服だからわが一生、貴僧に奨学の資を進上したいというのである。また蔵俊の後進を愛する一念である。 しかし法然は、望みもせぬ称賛の辞は得たが、人…

木魚歳時記 第3698話 

蔵俊がつぶさに説く?舎(ぐしゃ)七十五法や百法に対して若い法然は、人間の千差万別の心理をわずかに七十五法や百法で割り切って解決し得たとするのは承服しがたいというと、耳を傾けていた蔵俊は容を改めて、「しかし貴説は相伝の義を超えている。貴僧は、…

木魚歳時記 第3697話 

当時は常に召されていた左大臣藤原頼長の命によって『唯識比量抄』二巻を執筆中だと得意であった。法然はこれほどの学匠が、なおこんな名聞を誇るのかと思いながらも、叡山で学んでいた場違いの法相宗の疑義をただし、つづいて法相の教学そのものに対する率…

木魚歳時記 第3696話 

南都に入った法然は、先ず第一に因明(いんみょう)(物事の正邪真偽を考察論証する一種の論理学)の大成者として名高い蔵俊(ぞうしゅん)を訪うた。 蔵俊は安元(あんげん)二年(一一七六)権律師(ごんりっし)に任じられ、三年後には権少都(ごんしょう…

木魚歳時記 第3695話 

山野には藤つつじがもう終わって、林の梢(こずえ)には、栗の花、林下には百合の花が咲き出しているなかを、若い出家は墨染衣を青嵐に吹かれひるがえして、大きな黒揚羽か何かのように行くのであった。目ざす奈良には古き仏たち、すぐれた学匠もあり、法蔵…

木魚歳時記 第3694話 

そのころから『往生要集』によって往生に注目しはじめていた彼は、空也(くうや)、恵心(えしん)、良忍(りょうにん)などの平安の仏教のほかに、南都には行基(ぎょうき)その他の平安とは別系統の一派のあるのを知って、折あらば、それついても学びたい…

木魚歳時記 第3693話 

わけても叡山よりは一時代古く、徐災致福(じょうさいちふく)、広学多門(こうがくたもん)、戒律堅固(かいりつけんご)をモットーとする南都の仏教は、素朴で生活に即したものであっただけに、その退廃前にはきっと学ぶべきものがありそうに思っていたも…

木魚歳時記 第3692話 

(四)叡山で天台の大要はほぼ知ったが、自分の機根には不似合いなような気がしていた法然は、もっと広く諸宗のことを知りたい、もしかすると自分の所信を裏書きする経文もあるかも知れないとかねがね思っていた。(佐藤春夫『極楽から来た』)389 裸木のご…

木魚歳時記 第3691話 

明け方になってやっと一刻ばかり熟睡したさめ際の夢に、母に似た宿坊のおばさん、いやおばさんに似た母が現われて、やさしく、「南都へ行ってごらん。得業のおじさんのように」といったまま姿を消した。 目が覚めた法然はこれを霊夢と考え、山に帰る足をその…

木魚歳時記 第3690話 

「ごらん下さい、如来さま。源空は大の愚か者でございます。しかし、今夜おん足もとに伏して帰依し奉る人々とても決してみながみな、源空以上の利根の人ばかりとは限りませぬ。衆生のため抜苦与楽(ばっくよらく)の如来は源空やそれに類する下根(げこん)…

木魚歳時記 第3689話 

法然は板の間の片隅にひじ枕して周囲の状況を見つつ、この混乱の末世にもここにこれだけの秩序のあるのも瑞像の前なればこそと有難く思い、彼は人の寝静まったなかで眠りもせずそぞろに僧奝然の生涯と子の志を励ましたその母とを思い、またひとり心中に瑞像…

木魚歳時記 第3688話 

夜が更けるにしたがって帰る者は帰り、参籠する者はそれぞれに参籠の場をえらんだ。人々はみな平等のなかに差別を知り、自由のなかに自然の律があって、男女、貴賤は争うこともなく類をもって集り、分によって場所を譲り合い分かち合っておのずからの秩序が…

木魚歳時記 第3687話 

板の間や置畳の上にそれぞれ座を占めた人々は、互いに寒暑のあいさつや世間話さては信心ばなしを取り交し、何やら高らかに物語るのもあり、あたりをはばかる小声もあり、知るも知らぬもうちとけて親しげに、彼らは夕飯後をここに集まって心のなごむ一種の社…

木魚歳時記 第3686話 

お堂は夜に入っても人は散ぜず、灯明に照らし出されてほのかな瑞像の前に昼間と同じように去来して礼拝するさなざまな姿は、法然の眼には、さながらわが心中の過去、現在、未来のさまざまの悲しみそのものの映像かと見えた。(佐藤春夫『極楽から来た』)383…

木魚歳時記 第3685話 

昼間のうららかな空は、夕方に入ってうす雲がひろがったところへ、この山かげの地は日のくれが早いのか、それとも宿坊ではほんの小時間と思ったのが案外長かったものか、暮れなずむはずの晩春首夏の一日は、早たそがれのやみが濃く、七,八日ごろの片破れ月…

木魚歳時記 第3684話 

格別美しくもなかったのに、法然は何やら不思議と心ひかれる思いがあった。久しぶりに山を下りて異性がめずらしかったのかも知れないが、それならば太秦の秦家でも見かけた幾人かの若い婦人に対しては何ら心も動かなかったのに、この老女になつかしみおぼえ…

木魚歳時記 第3683話 

(三)ここに在ってわが心のなごむのをおぼえて法然は一夜の参籠をきめて清涼寺の宿坊に行き、お灯明代の寄進をした。参籠者が志によって灯明を上げるのはここの慣例であったから。 宿坊には、年のころ四十ばかり、あたかも美作で別れた母ほどの年配の婦人が…

木魚歳時記 第3682話 

法然は人々の拝すのを待って瑞像の台下に身を伏せて、心中に、「わたくしは戒も定も慧も身にかなわぬ下根のお弟子でございます。成道の門を示させ給え」と念じつつ法然は拝み終わってもなおもこの場を立ち去りがたい思いがあって、ここに一夜の参籠を考えた…

木魚歳時記 第3681話 

瑞像は低い台座の上に如来の現すという五尺二寸の立姿が大きな唐草風の華麗な光背を負うて、交々(こもごも)に台座の下にぬかずく人々を少しく憂色を帯びた面ざしで慈眼に見おろしていた。(佐藤春夫『極楽から来た』)380 山峡に凛とかがやく樹氷かな 凛(…

木魚歳時記 第3680話 

今日も老若、男女,貴賤(きせん)を問わずここに群衆していた。藤原定家は群衆の煩わしさ避けてここに参詣したというが、法然はこれらの群衆の姿をこそ見たかったのである。そうしてこの群衆の一人となってここに求道の祈願をしたかったのである。(佐藤春…

木魚歳時記 第3679話 

この日よりやや後年のことであるが、高倉天皇に寵(ちょう)せられた小督局(こごうのつぼね)真西(しんぜい)の孫女、が清盛の圧迫のため嵯峨野に出奔(しゅっぽん)したのを院宣(いんせん)によって仲国がこれを求めた時も、釈迦堂にもそれらしき人の影は…

木魚歳時記 第3678話 

当時、宮廷は多事で用度が欠乏のため、最勝講や仁王会など吉例の仏事も延引がちとなっていたし、法勝寺などの貴族寺院も衰退の一途をたどっている反面、市の聖(ひじり)の寺院や、由緒ある民間の仏閣が庶民結縁(けちえん)の霊場となる傾向が著しかった。…

木魚歳時記 第3677話 

天竺から西域を経て唐に入り宋の朝廷から奝然の手でわが国に渡って来た。それ故に唐、天竺、わが朝と三国渡来の称もある。わが国入って以来も幾多の奇瑞を伝えられ、いみじくも尊いものである。(佐藤春夫『極楽から来た』)376 凍鶴や捨て色めきし日本海 「…

木魚歳時記 第3676話 

センダン瑞像と呼ばれているものは、三国伝来ともつたえられ、釈迦如来が在世中に造られてその神聖なおもかげをよく写しているといわれるほど、古代の様式をもそなえ、またわが滅後は我に代って衆生を救済せよ、とこの寿像(じゅぞう)は如来自身が開眼した…

木魚歳時記 第3675話 

しかし奝然のさかんな夢はむなしく、ついにその志を果たさず寂した後、師の志をついだ僧盛算が、山頂ならぬ愛宕山麓の棲霞寺の境内に一宇を設けて師が招来の瑞像を安置して釈迦堂とし、さらに棲霞寺を五台山清涼寺と改称していささか先師の志を慰めたのは、…