木魚歳時記 第3820話

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 その年の行く春の一日、門院からのお召しの御使者があった。宮はそのころ鳥羽離宮の泉殿の跡の成菩薩院の一間をご在所にしておられた。伺候(しこう)してみると、宮ははなだ色の地に雲をこまかくつけたおん上衣の褻衣(けぎね)でおくつろぎのように拝せられたが、お庭には咲きのこる藤の房もすべてこぼれ落ち、若かえでがみどりこまやかに枝をおもしろくさしのべていた。物みなめずらしく、あたりを見まわしていると、宮はやさしく「隆信」とわが身をお呼び下さって、
(佐藤春夫『極楽から来た』)507

       目借時石に抱きつく蛙かな  蛙(かはづ)

 「ボクの細道]好きな俳句(1570) 今井肖子さん。「きのふまで筍だつたかもしれぬ」(肖子) すっきりと皮をはいで並ぶ若竹はさわやかです。ついさきほど、地を割って顔を出した筍(たたかんな)の力強さとは違い、若竹はさわやかにそよぎます。このわたくしのように・・そんな作者の声が聞こえてきそうです。さて、「ガラケイ」が発売されて30年になるそうです。ところで「スマホなしで一週間暮らせるか」? ボクは、この問題には少々興味があります! しかし、高齢者の連絡手段にかぎるなら「ガラケイ」で充分な気もいたします(笑)。 

 白鳥(はくちょう)1  彼は泉水の上を、雲から雲へ、白い橇(そり)のように滑る。なぜなら、彼は、水の中に生じ、動き、そして消え失(うせ)る綿雲だけに食欲を感じるからである。彼が望んでいるのは、その一きれである。そして、いきなり、雪の衣を纏(まと)ったその頸(くび)を突っ込む。

 

木魚歳時記 第3819話

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(五)身が十四のころ、門院は三十九になると仰せられたから、たしかに六年前の事には相違ない。しかしそののち、世にさまざまな事どもがあわただしく続出したせいか、事どもはおぼろめき、すべてが夢かまぼろしのようである。
(佐藤春夫『極楽から来た』)507

        あかつきの濡れ雑巾や恋の猫

  「ボクの細道]好きな俳句(1569) 今井肖子さん。「てのひらをこぼれてゆきし子猫かな」(肖子) ますますやさしい。おもわず抱きしめてあげたい。いいえ子猫のことです(笑)。爺さんになっても、可愛いい女性は可愛いいものです(汗)。さて、植物の「踊子草」は、「オドリコソウ」とカタカナ表記されることが多いようです。植物のカタカナ表記については、学術的にいくつかの理由があることは理解できますが「踊子草」(おどりこそう)でないと・・「オドリコソウ」では、どうも俳句にはなじまない。
 孔雀(くじゃく)6  彼は裾長(すそなが)の上衣(うわぎ)の裾を引き上げる。その裾は、多くの眼が注がれたまま離れなくなってしまったために、なにさま重くなっている。 彼は、そこでもう一度、式の予行をやってみるのである。

 

木魚歳時記 第3818話

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「たれびとにも見せてやるな」

 と小声が、かすかながらもほがらかに聞こえた。門院の声に似ている。確かめようと再び耳をすますと、声はしずかな山の渓谷の底を行く水のせせらぎにしか過ぎないように思われた。
 すべては雪のあやかしではあるが、由来するところはあった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)506

       土つけてれ三つならんだ真竹の子

 「ボクの細道]好きな俳句(1568) 今井肖子さん。「花の風花より生れ花に消え」(肖子) 桜の頃に吹く風を「花から生まれ花に消え」とは、なんと美しい表現でしょうか。こんな作品は、心根の美しい(と思います)今井肖子さんだからこそ生まれるのでしょう。今井肖子さんは、今井通子さんの娘さんです。さて、IT(情報技術)とか、AI(人口知能)とか、情報産業のめざましい発展にともない、横文字のイニシャル表記が目立ちます。これでいいのか? ボクには少々抵抗もありますが・・時代の流れですから、ついていくよりしかたがありません(汗)。

 孔雀(くじゃく)5 結婚式は明日になるだろう。
そこで、残りの時間をどう過ごそうかと、ただ、あてもなく踏段の方へと歩いて行く。そして神殿の階段(きざはし)でも登るように、一段一段、正式の足どりで登って行く。

 

木魚歳時記 第3817話

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 高野に来てみると山風は途中の川風よりもなお寒くて、山では峰も林もかきくらして雪がふり出して来た。ふりしきる雪のなかで隆信はふと吉祥天女か何かが天降ったかのようにすんなりと立って一糸をもまとわぬ女体を幻に見た。隆信は同行の人々をはばかって、あたりを見まわした時、
(佐藤春夫『極楽から来た』)505

        炎昼のカルピスソーダ202

 「ボクの細道]好きな俳句(1567) 今井千鶴子さん。「何もかも何故と聞く子と夕焼見る」(千鶴子) 子どもは、何を見ても、何にを聞いても、つまり何が起きても「何でや・・」と問いかけるものです。そうして学んで行くのでしょう。夕焼けを見て「何で赤いのんや?」そう問われても困ります。この世の中「なんでや?」の如何に多いことか! これを取り上げて成功したテレビ番組が「チコちゃんにしかられる!」(NHK土曜)です。

 孔雀(くじゃく)4  レオン !  レオン !
 こうして花嫁を呼ぶのである。何ものも姿を見せず、誰も返事をしない。庭の鳥たちももう慣れっこになっていて、頭をあげようともしない。そういつまでも感心ばかりしてはいられないのだ。彼は中庭に降りてくる。誰を恨むというでもない。それほど自分の美しさを信じている。

 

木魚歳時記 第3816話

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 一切は無常、生者は必滅と知らぬでもないが、世にも美しいおん方がこの世界から消えて行ってしまった悲しさは、一身の最も頼もしいうしろ盾(たて)が失われたというようなそんな打算から出るものではなく、大地の覆滅とまではいわないまでも、よい平安の時代が終わろうとするに当って、この最も美しいいけにえを供物に求めたかと思われた。そうして。
   朝ぼらけ漕ぎゆくあとに消ゆる泡の哀れまことにうきよなりけり
 と隆信はため息のリズムをそう歌ってまだ歌い尽くせないうらみを感じて、亡き人をしのぶ悲しみはやがておもむろに身の不才と不運とを嘆くものにかわっていった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)504

       豆飯のうまいうまいとお爺さん

 「ボクの細道]好きな俳句(1566) 今井千鶴子さん。「成人の日の母たりしこと遥か」(千鶴子) 今井千鶴子さんの娘さんに、確か、今井肖子さんという俳人がおられた? と思います。掲句は、その肖子さんの「成人の日」に作られた作品でありましょう。何か、ほのぼのとしたものを感じる一句です。さて、旬の、エンドウ豆を入れた「豆ごはん」をいただきました。おいしかった。

 孔雀(くじゃく)3   花嫁は来ない。
彼は屋根の頂に登り、じっと太陽の照らす方を眺める。彼は魔性の叫びを投げかけ・・

 

 

木魚歳時記 第3815話

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 そのため遺骨を捧持(ほうじ)して船の上座にすえられている弱年の隆信には終始窮屈な思いであった。
 それだけに隆信の感激も悲嘆も大きかった。明けゆく曙のあかねの色の雲も、船ばたを打つ川浪の音も、わけても耳や鼻さきに痛い十二月の水の面を渡って来た朝風が彼の悲愁となって、この若者の身にしみた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)503

      青鷺のそしらぬふりや糞を放る  糞(まり) 

「ボクの細道]好きな俳句(1565) 今井千鶴子さん。「虚子の亡き立子の日々や立子忌」(千鶴子) 星野立子さんは、実生活はもとより、俳句の世界でも、虚子に可愛がられて育てられたそうです。虚子さんは、立子さんの創作に非凡なものを感じられていたからでしょう。さて、ゴイサギ(五位鷺)は、たいていぽつんと一羽でいます。なんとなく「感じ」がボク自身と似ていませんか?(笑)。写真は近くの水路で撮りました。しかし、こんなのが群れていたら気色悪い(汗)。

 孔雀(くじゃく)2  意気揚々と、インドの王子然たる足取りで、彼はそねあたりを散策する。新妻への数々の贈物は、ちゃんと身につけて持っている。愛情がその輝きを増し、帽子の羽織りは竪琴(たてごと)のように震えている。

 

木魚歳時記 第3814話

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 門院は鳥羽院の鳥羽院の御願寺たる高野の伝法院の覚鑁上人(かくばんしょうにん)の高弟兼海には平素から深い帰依で、当時蹴(け)まりの名手とうたわれた寵臣藤原成道の末子を猶子とした大納言のアジャリを身代りに高野に遣わして上人に仕えさせていたし、また鳥羽院のおん菩提のために、門院ご直筆、題簽(だいせん)の紺紙金字の一切経とその経蔵(きょうぞう)とを寄進したほどであったから遺骨を高野山へというのはよくわかるが、たとい三代の因縁とはいえ、特に隆信に守らせよという名ざしのあったのは、人々にはもとより、当の隆信にとっても全く思いがけない思し召しであった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)502

         恋猫の二つの耳と二つの目

「ボクの細道]好きな俳句(1565) 今井千鶴子さん。「ミッキーの風船まるい耳ふたつ」(千鶴子) ミッキーマウスの耳は大きくて、しかも、二つついています。あたりまえのことです。目も眉毛も二つついています。さて、掲句は、ボクが妻と出会った(半世紀以上も昔)を回想した作品(再掲)です。ボク自身は少々気に入っています。ところで、「恋猫の二つの耳と二つの目」の今や如何に(???)。

 孔雀(くじゃく)1 今日こそ間違いなく結婚式が挙げられるだろう。
実は、昨日のはずだった。彼は正装をして待っていた。花嫁が来さえすればよかった。しかし、もうほどなく来るだろう。