木魚歳時記 第3402話

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 行く先々には新緑にまじるふじ、つつじのにおうけわしい山道をも、ものともせずさまざまな小鳥の声をよろこびながら叔父観覚得業の住む杏木山菩提寺に入ったのは午後四時ごろでもあったろうか。日は西に傾きそめていた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)106

     しぐるゝや足裏目となる雲母坂  足裏(あうら)

「ボクの細道]好きな俳句(1150) 星野麥丘人さん。「珈琲や湖へ大きな春の虹」(麥丘人) 湖畔のレストランで食事を済ませコーヒーを楽しむ。折から、向こうの山並みに大きな虹が・・俳句では、見てきたようなウソをいってもわかりません(汗)。ボクが、軽井沢のコテ-ジに滞在(この夏)してゴルフ三昧してすごすつもり・・そんなことを俳句に作ったとしても? はたして、18ラウンド廻れるでしょうか?

 

 

木魚歳時記 第3401話

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 と、最初にその話があってから、も早一年近くが経って、いよいよ時国の一周忌もすみ、四月末の空さわやかに晴れた一日、小矢児は叔父に導かれ、母に津山まで見送られて、新しいわらじを踏みしめる足もとも元気よく、
(佐藤春夫『極楽から来た』)105

      満月と離れ難くてはしご酒

 「ボクの細道]好きな俳句(1149) 星野麥丘人さん。「立冬のクロワッサンとゆでたまご」(麥丘人) これくらい(作品)なら、猫背、短足、胴長のボクでも、すっと読み解くことができます。さて、クロワッサンは美味しいけれど、あのパラパラ感はどうも・・ボクは、クロワッサンも女性も扱いが下手なようです(汗)。

木魚歳時記 第3400話

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 わたくしは兄上の一周忌にはお経の一つも読めるように仕込んで置きたいと思っていましたが、姉上がそうおっしゃるなら来年の春までお待ちしましょう。兄上の一周忌をわやくしにお任せいただいて、その布施に小矢児をわたくしにお渡し下さい。それがあんな遺言をのこされた何よりの供養になりましょう」
(佐藤春夫『極楽から来た』)104

       蛇塚は奈落につづく虫の闇

 「ボクの細道]好きな俳句(1148) 星野麥丘人さん。「きんいろのフランス山の毛虫かな」(麥丘人) 「フランス山」? 詮索することは止めにしておきましょう。シャンゼリゼのしゃれた街路を行きかう長身のフランス人の中を、胴長・短足のボク(毛虫)がまぎれ込んで、さまよい歩くようなものを想像しておきましょうか(汗)。

木魚歳時記 第3399話

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「姉上、恩愛におぼれてはいけません。まだ九歳とは申せ、小矢児の精神はずっと成長していて、せっかく道ぬ志しているのです。山は南受けの山腹ですから、山頂とは違い、さほど寒くはありません。
(佐藤春夫『極楽から来た』)103

     婆ひとり雨なら雨の十夜寺

 「ボクの細道]好きな俳句(1147) 星野麥丘人さん。「さかづきを置きぬ冷夏かも知れず」(麥丘人) いいですね。独酌でしょう。どうもお酒の心地よい「めぐり」がいつもとは違うようです。冷夏のせいでしょうか? いや、そうでもなさそうです。ある年齢になると、お酒はほどほどがいいようです。呑まないのではなく呑めないのです。加齢とは目に見えないところにも現れるようです。

 

木魚歳時記 第3398話

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(四)観学得業は小矢児の意志がきまり次第、早く山に引き取りたいというが、それに対して母は、
「今では、あの子がわたしにとってただひとりの話相手、ただ一つの慰めなのです。それにまだ小さいのです。山の冬はさぞ寒いでしょう。せめてもう一冬だけ、あの子の父の一周忌のすむころまで、わたしの手もとに置かせてください」
(佐藤春夫『極楽から来た』)102

     中腹に煙ひとすじ秋の山

 「ボクの細道]好きな俳句(1146) 星野麥丘人さん。「をかしきや脚気などとは思へねど」(麥丘人) 脚気とは懐かしいことばです。しかし、腰が痛い、膝の軟骨がすり減った、正座ができない・・などなどあります(ボク)。「痛い病気には、なりたくない!」これは師僧(おやじ)の口癖でした。口癖の通り、八十一歳で眠るがごとく往生しました。ボクも八十一歳となります。

木魚歳時記 第3397話

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 定明は長途(ちょうと)河海の波濤(はとう)を分けて無事に都門に入りはしたが、浮世(うきよ)の波は激しく彼にはつらかつた。望みどおりの滝口にもなれず、彼は時代の暗流にのまれて強盗の群れにまじったが、袴垂(はかまだれ)のような盗人の大将軍になれるほどの彼でもなく、荘園の武士となって転々と丹後、伊賀、大和などを年久しく渡り歩いていた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)101

     草虱つけて皇宮護衛官

 「ボクの細道]好きな俳句(1145) 星野麥丘人さん。「花たのしいよいよ晩年かもしれぬ」(麥丘人) わかります。若い時のお花見は、場所とか、お酒とか、お料理とか・・それと、ご一緒するのは誰か! ですから肝心の「さくら」は見たのか見ていないないのか「記憶にありません」。くらべて、相棒と二人で薄墨桜でも見るともなればそれはもう立派な晩年でありましょう(汗)。

木魚歳時記 第3396話

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 定明はこうしてタイムリーにこつそり弓削から脱出した。それ故、時国が死に、秦氏が幼童を抱きしめて定明の二度の来襲をおそれていたころ、定明はもう淀の川船にいた。そうして国衙(こくふ)がきびしく彼を求めたころにはもう都で権大納言の家人になっていた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)100

     山姥も捨子もからめ野分来る

 「ボクの細道]好きな俳句(1144) 星野麥丘人さん。「白玉やくるといふ母つひに来ず」(麥丘人) 作者の壮年期の作品でしょうか? 仕事か何かの関係でお母さんと別に暮らしておられたのでしょう。都会の見物も兼ねてぜひ上京する予定であったお母さんが来られない。体の調子でも悪くなければいいのですが・・