木魚歳時記 第3338話

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 漆氏(うるまうじ)は時国(ときくに)の代になって押領使(おうりょうし)に任じられるとともに、もとから三棟あった居館にまた一棟を増築する勢いであった。武士としてまた稲岡の領主として、漆氏は二百年足らずのうちにこの富と勢力と社会的栄誉とを順次に加え来たことが知れる。あたかも地方武士が頭をもたげる時代の波に乗ってまさに順風の帆を上げた漆氏であった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)44

      山滴る万物すでに仏たり

 「ボクの細道]好きな俳句(1089) 坪内稔典さん。「たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ」(稔典) 問題は「ぽぽのあたり」です。ボクなど、すぐエロい隠語の妄想を掻きたてますが、そこで語源をあさりましたがわかりません。「どこと問われてもねえ」と、笑っている作者の顔が浮かんでくるようです。因みに、連作に「たんぽぽのぽぽのその後は知りません」とありました。

 

木魚歳時記 第3337話

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 自然の地勢によって弓削(ゆげ)は稲岡(いなおか)のあまり水を田に引き入れ不足を嘆息して稲岡をうらやみ、自家専用の池を設けようとして水源の発見に苦しんでいた。
 まず門田(もんでん)のある要害の地の相として門口に馬屋を設けてそのうしろに廊下つづきを座敷とし、更に廊下つづきの奥には納屋や台所、家人の居間などがある。こいう形態の棟が、その富や勢力に応じて幾棟か立ち並ぶのが、この時代の武士の居館の様相であった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)43

      魂の山に鎮もり山眠る

 「ボクの細道]好きな俳句(1088) 坪内稔典さん。「三月の甘納豆のうふふふふ」(稔典) 稔典さんの作品はわかりやすい。「三月」「甘納豆」とりわけ「うふふふふ」で決まりです。掲句は、小学生の教科書にも掲載されているそうです。そのくらい世間に知れわたった代表作です。因みに、一月から十二月まで一連の作品があります。

 

木魚歳時記 第3336話

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 西北は山、西南は水をめぐらして自然の防備とし、東方は打ち開け、屋敷の南方には低い丘越に広々とした田園が見られる。
 屋敷をとりめぐる清流は領国の居館に近い庄民の家々の用水としてその軒下の小溝に分かれ流れた末はやがて北の庄から南流して耕地の上方二つの池に貯え温められて田に流れ入り、それから南の庄の田をうるおした末は野末に行くにまかしている。
(佐藤春夫『極楽から来た』)42

      山粧ふ空海すでに生き仏

 「ボクの細道]好きな俳句(1087) 能村登四郎さん。「冬至といふ底抜けに明るい日」(登四郎) 冬至(とうじ)は二十四節季の一つです。十二月二十二日ごろを指すようです。年の瀬も押し詰まったこの日が、なぜ、底向けに明るいのか? これは作者に聞いてみなければわかりません。しかし、何かいいことがあったのでしょう。そういうことにしておきましょう。

木魚歳時記 第3335話

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(三) 作州久米郡の押領使(おうりょうし)漆時国(うるまのときくに)の祖先からのこされた申し分のない居館と笛吹き山の頂上との中間の山腹の森には、いつのころからか、祖先とわき水とを祭ってさくらの老樹のかげに大きからず小さからぬ氏神神社の祠(ほこら)の屋根は半ば朽ちて厚い青苔が生えていた。渓流はこの森から抜け出でて山ぞいを居館の西側から南面にめぐって幅、六、七メートルの小川とたぎり立ち、明らかに濠(ほり)の役目を果たして居館を守っている。
(佐藤春夫『極楽から来た』)41

     鷹鳩と化すや空海捨聖

 「ボクの細道]好きな俳句(1086) 能村登四郎さん。「寒雀瓦斯の火ひとつひとつ點きぬ」(登四郎) 瓦斯(ガス)灯のある時代(明治)の作品でしょうか? ガス灯が、ひとつひとつ(手作業?)で灯るにしたがい、そのあたりがほんのりと明るくなります。たくさんいた雀たちもそれぞれお宿に戻ったのでしょうか・・

木魚歳時記 第3334話

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 居館は(弓削の庄の)明石定国が好んでこの山上で笛を吹いたという笛吹山の山すそが細長い丘陵となって、たとえば、太くたくましい腕を北に突き出し更に西へ抱え込むような地勢のところに構えられた。
 この丘陵の腕の尖端はあたかも握りこぶし固めたような独立の丘陵をなして一朝有事の日は物見とものろし台ともなって、街道一帯を見はるかし、北の那岐山は目路(めじ)も遠いが南の弓削あたりまで見通しで、地方豪族の居館には申し分のない構えである。
(佐藤春夫『極楽から来た』)40

      空海の霞食らひて高野山

 「ボクの細道]好きな俳句(1085) 能村登四郎さん。「あたためて何包みたき掌か」(登四郎) 「何」とは? 乳房のことを指して? いやそうではない。ハグしてあげたい君のことです。君とは誰のこと? それは言わぬが花でありましょう(汗)。「もういちど兎抱きしめ卒園す」。幼少時よりスケベ男を自認する某氏Sにもこんな純情な時代があったのです。

木魚歳時記 第3333話

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 ところで漆氏がこの稲岡に荘的支配権を持つに至ったのは、この押領使時国から二百年とさかのぼるものではなかった。それでもこの山間の藪沢久米郡の荘園としては草分けの部であったであろう。さればこそ優先的に、これほど有利な地域をも占め得たものである。もし漆氏が頼信から出たものとすれば、稲岡の荘園はその百二十年目の成立であり、頼信の三代目かそれとも四代目ぐらいの孫の代である。
 目ざとくも水源を発見して、その水を利用し得る範囲をよく見て取り、地面と水流とを最も有効に使いこなして経営を誤やまらずに二つの庄を持つゆたかな荘園をはじめた彼はまた地を相して、抜け目なくすばらしい居館をここに設けて置いた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)39

      極月の曼茶羅にある方と円   曼茶羅(まんだら)

 「ボクの細道]好きな俳句(1084) 能村登四郎さん。「鉄筆をしびれて放す冬の暮」(登四郎) モノ書きなら経験があるでしょう。コピー機など家庭に無い時代は、手製のカリ版刷りが唯一の手段でした。鉄筆でヤスリと蝋紙をコリコリと刻み、一段落して鉄筆を投げ出す時、肩の凝りが一気に襲います。

 

木魚歳時記 第3332話

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 漆(うるま)氏はもと源氏の一門であるが、美作(みまさか)に出て以来、漆氏を姓とすると伝えられているのは、八幡太郎義家の祖父頼信が美作守(みまさかのかみ)となって津山に来任したことに由るとも考えられる。頼信がこの国に任にあったあいだに、この土地の女子に生ませた子を源(みなもと)と呼ばせないで漆(うるま)の姓を名のらせたのではあるまいかとも思える。そうした漆氏はその後、父祖と同じく武門の家となって栄え、当代の時国に至って押領使となっていた。
 その先祖が何人(なにびと)であったにせよ、漆氏が聡明な家系の一族であるのは疑うべくもなく、これを証するものが少なくない。現にこの稲岡の庄がそれである。
(佐藤春夫『極楽から来た』)38

      蓮の実の飛んで三千大世界

 「ボクの細道]好きな俳句(1083) 能村登四郎さん。「数へ日や数へなほして誤たず」(登四郎) 「♪後いくつ寝るとお正月」。子どもの頃、この童謡を口ずさんでお正月を待ちました。しかし、ブログ筆者のお正月は、家族で小旅行に、レジャーに、なんてとてもとても、年末年始、墓詣のお檀家さまのお相手が待ち受けていました。