木魚歳時記 第3034話

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 (十六学生の質問の結語)ビギャンはいった「どこにも誓うべきものなく、奪い去られず,動揺することのない境地に、わたくしはたしかにもむくことでしょう。このことについて、わたくしには疑惑がありません。わたくしの心がこのように確信して了解していることを、お認めください。」(スッタニパータ)

                       *『スッタニパータ』おわり  

 「ボクの細道]好きな俳句(789) 井上菜摘子さん。「春愁の頬杖いつぽんづつ外す」(『さくらがい』) (決断は)「さくらふぶきの真ん中」で。とは言ったものの、重大な決断を一気に決めることはむつかしい。どうかすると、Yes・Noが「どうどうめぐり」することもあります。そうした時は「どうどうめぐり」する頭の中、すなわち、頬(ほお)を支える手のひらを「いつぽんづつ」外す外ありません。と、作者は言うのです。「春愁」(しゅんしゅう)の季語が効いてきます。

 「今日のことば」
         森の分かれ道では
         人の通らぬ道を選ぼう。
         すべてが変わる。
          (ロバート・フロスト)

         陋宅に老いのモナドや余花の雨 

                       陋宅(ろうたく)

 

木魚歳時記 第3033話

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 (十六学生の質問の結語)(ビギャンはいった)「師(ブッダ)は、神々に関してもよく熟知して、あれこれ一切のことがらを知っておられます。疑いをいだき、また言(ことば)を立てる人々の質問を解決されます。」(スッタニパータ)

 「ボクの細道]好きな俳句(788) 井上菜摘子さん。「いま決めねばさくらふぶきのまんなかに」(句集『さくらがい』) 作者は、お母さまを「菜の花」の咲くところに「ふはり」と置いてきました。さて、自身のこと(重大事)となると! どのようにされるのでしょうか? それは、さくら雪吹が舞う、今、ここで決めるしかありません。めったに起こりそうにないこと(重大事)の対処を、今、この「さくらふぶきの中」に託そうとする作者の潔よさが伝わってきます。

 「今日のことば」
         人生は自分の思い通りになんか
         ならないと思っている人は、
         自らが思い通りにならないことを
         望んでいる人です。
         (ジョセフ・マーフィー)

          囀りに埋もれ男の咽仏

 

木魚歳時記 第3032話

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 (十六学生の質問の結語)(ビギャンはいった)「わたくしは聖者(ブッダのおことばを聞いて、ますます心が澄む(=信ずる)ようになりました。さとった人(ブッダ)は煩悩(ぼんのう)の覆いを開き、心の荒(すさ)みなく明察あるお方です。」(スッタニパータ)

 「ボクの細道]好きな俳句(787) 井上菜摘子さん。「春の闇なに満たさむと水を飲む」(句集『さくらがい』) 句集(『さくらがい』)の巻頭句です。「春の闇」とは? それは作者にしかわかりません。それを満たすのに「水を飲む」だけで足りる? 作者がまだ「みずいろの時代」(旺盛な作句活動の真っただ中)の作品であるような? などなど、巻頭句として(具体的に示すことなく)読者の興味を引き込み、句集の展開を予見させるにふさわしい巻頭句を置かれたものと察します。

 「今日のことば」
         感動と激怒のシーソーゲーム。
         やめられないわね。
         (ココ・シャネル)

          たちまちに火蛾となりたり青二歳

 

木魚歳時記 第3031話

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 (十六学生の質問の結語)師(ブッダ)はいった「ヴァッカリやバドラーヴダやアーラグィ・ゴータマが(過去の)信仰を捨て去ったように、そのように汝(ギャラン)もまた彼岸に至るであろう。」(スッタニパータ)

 「ボクの細道]好きな俳句(786) 井上菜摘子さん。「ものわすれ麦の青まで巻きもどす」(句集『さくらがい』) いろんな出来ごとが有ったとしても。時間を巻きもどすことはできません! しかし、こう物忘れが多くては! もういちど「麦の青」(青春)にまでタイムスリップしてみたい! ありえないことであったとしても、それに挑戦できるのが「詩の世界」です。作者は、タイムスリップを「麦の青まで巻きもどす」と言葉を磨かれるところが秀逸なのです。

 「今日のことば」
         人の生き方を一番よく表すのは、
         言葉ではありません。
         それは、その人の選択なのです。
         わたしたちの選択とは、つまるところ、
         わたしたちの責任なのです。
         (エレノア・ルーズベルト)

           僧院のタントラ仏や春の夜 

                    タントラ仏=歓喜仏

 

木魚歳時記 第3030話

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 (十六学生の質問の結語)ビギャンがいった「わたくしは汚泥(おでい)の中に臥(ふ)してもがきながら、洲(す)から洲へと漂(ただよ)いました。そうしてついに、激流を乗り超えた、汚(けがれ)のない正覚者(ブッダ)とお会いできたのです。」(スッタニパータ)

 「ボクの細道]好きな俳句(785) 井上菜摘子さん。「菜の花にふはりと母を置いてきし」(句集『さくらがい』) 季語「菜の花」は、作者の「白地図」にたびたび登場いたします。作者の好きな「ことば」なのでしょう(そう思います)。さて、作者が、大切とされるのは、ご両親であり、兄であり、そして夫であり家族のすべてなのでありましょう。その中でもとりわけ思いの深いお母さまを「菜の花」の臥所に眠らせてあげたい! その思いが「ふはり」の措辞で充分に伝わってきます。

 「今日のことば」
         事を成し遂げる者は
            愚直でなければならぬ。
         才走ってはうまくいかない。
         (勝海舟)

          花菫ガンダーラから来た菩薩

 

木魚歳時記 第3029話

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 (十六学生の質問の結語)(ビギャンがいった)「バラモンさま。わたくしは、もう老いて、気力も衰えました。ですから、わが我が身はかしこ(彼岸)におもむくことはできません。しかし想いを馳せて常におもむきたいのです。わたしの心は、かれ(ブッダ)と結びついているのです。」(スッタニパータ)

 「ボクの細道]好きな俳句(784) 井上菜摘子さん。「鳥の目を容れてふくらむ青葉闇」(句集『さくらがい』) 自然詠のようでそうでもない? それは「鳥の目を容れてふくらむ」にあります。「青葉闇」つまり、大樹の茂みは、多数の小鳥たち容れて休ませ、その倍数の「目」が闇の中に宿っています。これは、仏教が説く「菩薩道」(ぼさつどう)のことです。つまり、「慈悲」(じひ)の教えのことです。季語「青葉闇」を置くことで、一句に、深い寓話性が生まれました。

 「今日のことば」
         運命がカードを混ぜ、
         われわれが勝負する。
         (ショーペンハウアー)

          人形の唇ひらく花の夜

木魚歳時記 第3028話

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 (十六学生の質問の結語)(ビギャンがいった)「バラモンさま。信仰と。喜びと、意(こころ)と、念(おもい)とが、わたくしを、ゴータマ(ブッダ)の教えから離れさせません。智慧豊かな方(ブッダ)さまにわたくしは傾くのです。」(スッタニパータ)

 「ボクの細道]好きな俳句(783) 井上菜摘子さん。「スイトピーになるまで言葉漉いてゐる」(句集『さくらがい』) スイトピーは可憐な花です。「スイトピーになるまで言葉漉(す)いて」とは、なんと素敵な表現でしょうか。菜摘子俳句の素晴らしさは、作品を完成させる(自身を研く)ために、用いる17文字を完膚(かんぷ)なきまで磨き、掬い上げるところにあります。結果、美事な和紙に漉き上げた如く17文字の世界が描かれるのです。

 「今日のことば」
         不幸というものは、
         耐える力が弱いと見てとると、
         そこに重くのしかかる。
         (シェイクスピア) 

         人妻の白きうなじや花かがり